海外文学読書録

書評と感想

マーク・サンドリッチ『コンチネンタル』(1934/米)

★★★

アメリカ人ダンサーのガイ(フレッド・アステア)が、ロンドンで会ったミミ(ジンジャー・ロジャース)に一目惚れする。彼は再会を求めて町中を探し回るのだった。一方、ミミは実は人妻で、彼女は夫と離婚しようとガイの友人で弁護士のエグバート(エドワード・エヴェレット・ホートン)に話を持ちかける。

アステアはピンでタップダンスをしてもいいし、ロジャースと組んで華麗な舞を披露してもいいし、ダンサーとして万能ではないかと思った。

モブのダンスも見栄えが良く、リゾートホテルで薄着の人たちが踊るのはなかなか楽しかった。また、最大の見せ場は終盤のコンチネンタルだけど、ここではモブのダンスを細かいカット割りで表現していて、その映像手法は新鮮だった。というのも、ダンスシーンは普通、そこそこ長いカットで見せるので。実際、ガイとミミのダンスは、どれも1分くらいのカットの繋ぎ合わせだった。そんなわけで、モブのダンスをなぜああいう風に処理したのかが気になる。

ミミのガイに対する最初の印象は悪いもので、彼女は追いかけてくるガイから必死に逃げている。ガイはそれにもめげず、何とかミミに求愛しようとするのだった。男が逃げる女を追いかけるこの構図は、昔の物語、とりわけ喜劇でよくあるパターンだけど、今ではすっかり見なくなったと思う。なぜかというと、現代の価値観ではストーカー扱いされるから。拒む女を男が深追いするのはご法度なのだ。21世紀においては、男が純愛を貫くことは許されない。相手がこちらに惚れるのを座して待つしかないのである。その一方、漫画やアニメなどのサブカルチャーでは、女が男を追いかける構図が半ばギャグとして採用されている。当然、そのことに対してストーカーという批判はなされない。物語の王道パターンとして確立している。時代を経て男女の役割が逆転しているわけで、この非対称性が興味深い。

登場人物の誤解によって物語を転がすところはオーソドックスな喜劇だ。古くはシェイクスピアも多用していたと思う。また、劇中に出てくる「偶然は運命の申し子」というキーワードは洒落ている。ガイとミミが偶然再会したのも運命なのだ。実にロマンティックなキーワードで、2人が結ばれるのも自然なことだと思わせる。

ミュージカル映画について語るなら、アステア&ロジャースものは全部観たほうがいいかもしれない。今度は意識して追っていこう。