海外文学読書録

書評と感想

ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q―吊された少女―』(2015)

★★★★

コペンハーゲン警察。カール・マーク警部補の元にボーンホルム島の警官から連絡が来る。20年前に轢き逃げされた少女の再捜査をしてほしいと言う。カールがそれを断ると、警官は公衆の面前で自殺するのだった。一方、アトゥ率いる〈人と自然の超越的統合センター〉では、ピルヨという女性が右腕として働いている。ピルヨはアトゥに寄ってくる女たちを秘密裏に殺害していく。

ピルヨの目から涙がどっとあふれた。泣いてもどうにもならないとわかっていた。子どものころ、母親にほかの子と同じように愛してほしいと頼んだときから、それはわかっていた。そのとき自分の運命は他人とは違う道をたどることになったのだ。どんなに険しくとも、その道を進む以外選択肢はなかった。今、ピルヨは改めてそれを悟った。時間が経つにつれ、すべてどうでもよくなっていく。わたしのお腹にいた命は、今からわたしと違う道を行こうと決めたんだわ。出産が始まっていた。けれど、生まれてくるのは死んだ子だ。彼女はそう確信した。(p.627)

『特捜部Q―知りすぎたマルコ―』の続編。

新興宗教を扱いつつ、女の愛憎で事件が進行していくところが面白かった。

アトゥ率いるスピリチュアルな共同体は、日本の新興宗教のような集金目当てのエセ宗教ではない。アトゥの目的は「既存の宗教の死」であり、「人類の新たな道」を示すことである。その理論構築のためには労を惜しまない。彼は若い頃から世界中の宗教を研究し、また、ヨーロッパ各地で探求活動を行っている。アトゥの出自はヒッピーのコミューンだった。現在のスピリチュアルな共同体はその延長上にある。彼は自分で自分のやっていることを信じ切っており、信者を騙している様子はない。カルトのような集団でありながらも、悪質なカルトとは一線を画している。

アトゥはすこぶる魅力的な人物のようで、「彼の情熱に触れた人たちは、自分も影響されて生き方を変えていった」のだという。純正でナイーブな信者たちはアトゥにのぼせていた。彼の傍らにいるピルヨもその一人である。ピルヨは信仰と距離を置く反面、アトゥに対して猛烈な恋心を抱いていた。ピルヨは現在39歳。アトゥの子を産みたいと願っている。ところが、アトゥはピルヨのことを「ウェスタの処女」として敬して遠ざけていた。その真意は分からない。本当に「ウェスタの処女」と思っているのかもしれないし、彼女に性的魅力を感じていないのかもしれない。ともあれ、ピルヨの欲求不満は他の女への嫉妬に転化され、アトゥに近づく女を次々と殺害していく。

ピルヨのいいところはエゴの塊であるところだ。自分の幸福のためなら人を殺すことも厭わない。彼女は罪悪感がこれっぽっちもなく、徹頭徹尾自分のために殺人を犯している。何人殺しても葛藤を見せないところはまさに天然の殺人者だ。本作はこういった絶対悪が警察の圧力と一般人の圧力によって追い詰められるのだから面白い。やはり悪役は徹底して悪なほうが気持ちよく読める。

今回の事件はほとんど女の愛憎によって動いており、アトゥは蚊帳の外である。アトゥはヒッピーらしくフリーセックスに勤しんでいただけだった。しかし、それが事件の引き金になっているのだから罪深い。刑事上の責任はないとはいえ、性的魅力に長けた人間の業は感じられる。

シリーズものとしては、あのゴードンが特捜部Qの正式なメンバーに迎え入れられた。彼が思わぬ場面で男気を見せたのだ。また、ステープル釘打機事件も進展している。この事件はカールの手から離れているものの、今でも捜査が続いていた。そして、アサドについては彼がサイードという別名を持っていたことが判明する。アサドにはどうやら懸案事項があるようだった。このシリーズ、まだまだ目が離せない。