海外文学読書録

書評と感想

ホン・サンス『逃げた女』(2020/韓国)

★★★★

ガミ(キム・ミニ)は夫と5年間離れたことがなかったが、夫が出張して初めて1人になった。彼女はソウル郊外に住む3人の旧友と会う。1人目は、離婚してルームシェアしているヨンスン(ソ・ヨンファ)。2人目は、ピラティスのインストラクターをしているスヨン(ソン・ソンミ)。3人目は、イベント関係の仕事をしているウジン(キム・セビョク)。ガミは夫から「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」と言われていて、そのことを3人に話すが……。

エリック・ロメールっぽい作風だと思っていたら、ホン・サンスは「韓国のエリック・ロメール」と呼ばれているらしかった。ほとんどが会話シーンで旧友たちとひたすら雑談をしている。会話の内容はあまり覚えてない。するすると引っ掛かりのない自然な会話といった感じだ。ところが、どのエピソードも途中で男が闖入してくるところが共通していて、それが物語のアクセントになっている。ただし、多少のトラブルはあっても日常から逸脱するほどではない。みんなハイソな世界で平穏な生活を送っている。こうやって等身大の人物像を提示しているところが本作の味だった。

印象に残っているシーン。ヨンスンと同居人は野良猫に餌をあげているが、そのことで隣人男性からクレームが来た。隣人は引っ越してきたばかりで遠慮がちだ。ヨンスンたちは隣人のクレームをきっぱり拒否している。この角の立たないようなやりとりも面白いが、もっと面白いのが事後に猫の様子を映すところだ。猫の態度がふてぶてしくて笑ってしまった。お前のことで揉めてるんだぞ、とツッコミを入れたくなる。

また、スヨンの元に若い男が訪ねてくるシーンも面白い。この男は詩人でスヨンに気がある様子。ところが、スヨンは彼をストーカー扱いしてにべもない。男は情けない態度でスヨンの温情にすがっている。韓国って男尊女卑のイメージがあったからこの力関係は意外だった。実は男はドMでこの関係を楽しんでいるのではないかと疑ってしまう。何らかの寓意ではないかと首をひねるくらい奇妙な図式だった。

あとは住まいの3階に立ち入らせてくれないエピソードや、リンゴを食べるのを反復させるところなど、些細な部分が印象に残っている。少しの引っ掛かりを仕込むのがこの手の映画の肝のような気がした。

注目すべきは登場人物が所属する文化的な階層だろう。作家、詩人、建築家などとにかくハイソである。スヨンに至っては10億ウォンも貯金があるようだ。極めつけはガミの夫で、彼は翻訳者であると同時に大学教授でもある。旦那のステータスでカードバトルをしたら優勝できるレベルだ。ガミ自身はほとんど趣味みたいなレベルで花屋をしている。物語はハイソなご夫人によるささやかな一人旅であり(夫と5年間離れたことがなかったのだ)、それを嫌味なく見せているところが良かった。

映像はなるべくワンカットワンシーンで撮るようにしていて、ぎこちないズームを多用している。全体的にカメラの動きが素人臭い。わざとインディペンデントっぽい作りにしているようで、そこは作家主義の映画という感じだった。