海外文学読書録

書評と感想

川島雄三『わが町』(1956/日)

★★★

明治末期。フィリピンのベンゲット道路建設に従事した他吉(辰巳柳太郎)が故郷の大阪に帰ってくる。折しも世間は日露戦争の勝利に浮かれていた。長屋に住む他吉は隣人の落語家〆団治(殿山泰司)から、フィリピン出港前に情交したお鶴(南田洋子)がシングルマザーになっていることを知らされる。お鶴の娘・初枝(高友子)は他吉と情交してできた子供だった。

原作は織田作之助の同名小説【Amazon】。

明治・大正・昭和を駆け抜けた男の半生記。人情ものではあるが泣かせるタイプの話ではなく、老いの残酷さを思い知らされる。結局のところ、昭和によくいた頑固親父は価値観をアップデートせずに済んだ幸福な人たちだったのだ。令和に生きる我々だとこうはいかない。セクハラやパワハラLGBT差別など、昨日まで良かったことが今日になったら駄目になっている。そういうことがよくある。我々は周囲の様子を伺いながら現在の「正しさ」を見極め、価値観をアップデートし続けなければならない。そうしないとキャンセルカルチャーによって潰されてしまう。時代に取り残された頑固親父はもはや許されないのだ。歯に衣着せぬ物言いをしていいのは負け犬か権力者だけ。中途半端に立場のある人間は何も言えない。随分と世知辛い世の中になった。

頑固親父の他吉が死ぬまでほとんど成長しなかったところがリアルだ。彼はずっと身内にエゴの押し付けをしている。なぜこうなったのかというと、他吉にはベンゲット道路を完成させたという誇りがある。その成功体験が彼の成長を止めてしまったのだ。娘婿の新太郎(大坂志郎)にフィリピン行きを勧めたのも、孫の夫の次郎(三橋達也)に同じことをしたのもそうである。そして、他吉が罪深いのは過去の過ちに学ばなかったところだ。新太郎がフィリピンで客死し、後には妊娠した妻(他吉にとっては娘)が残された。そういう悲劇があったにもかかわらず、孫の代にも同じことを強いている。他吉にとってフィリピンの栄光は絶対だった。日本人のすごさを世界に見せつける。そのような愛国心を後生大事に抱えていた。戦後民主主義の時代にこのような価値観を抱いているのは異常である。実際、孫娘の君枝(南田洋子)とは世代間ギャップが顕著になっており、時代に取り残された明治男の像を浮き彫りにしていた。孫娘の自由恋愛を認めない。結婚は親と親が話し合いで決める。どうすればここまで古い価値観のままでいられるのか分からない。他吉は若いうちに妻と娘を亡くした。その点は不幸だが、価値観をアップデートせずに済んだのは幸福だった。昭和の時代は彼のような老害が許容されていたわけで、令和に生きる我々は憧憬の念を持って見つめるのみである。

若い頃は大立ち回りを演じた他吉も、老いてからは若者にいいようにあしらわれてしまう。老いた他吉は往来で若者に絡まれて大切な人力車を川に捨てられてしまった。時代に取り残されることよりも、フィジカルが弱ることのほうがよっぽど悲しい。価値観はアップデートできても肉体はアップデートできないから。僕も最近は腰を痛め、胃の調子が悪くなった。老いの不便を実感している。

他吉がプラネタリウム南十字星を見て死んだのは幸福な死に方だった。「終わりよければすべてよし」とはこういうことなのだろう。これぞ人生という感じだった。