★★★
1980年代のグラスゴー。少年シャギーにはアグネスという美人の母親がおり、姉・兄・祖父母とともに貧困生活を送っていた。アグネスは美人であるものの薄幸で、ろくでもない男に捨てられてからは酒浸りになる。一方、シャギーは小さい頃からゲイの傾向があり、マチズモを重んじる同年代の少年たちから迫害されていた。
シャギーはうなずいた。「そう」鎖に指をからめて、看護師の親切そうな顔を見あげた。「いいんです。別にぼくのお母さんを好きになってくれなくても。ときどき台所の流しの下に置いてあるお酒を飲むんです。そういうときは誰もお母さんが好きじゃないです。お父さんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも。でもいいんです。リークは誰もほんとは好きじゃないし、びみょうじんかく者だって、お母さんは言ってます」(p.251)
ブッカー賞受賞作。
家族の物語は英米の主流文学がもっとも好むテーマである。本作で焦点を当てているのは母親アグネスだ。男に依存するアグネスは子供3人を抱えて貧困に喘いでいる。ここから抜け出す目はない。おまけに、男に浮気されてからはアルコール依存症になった。貧困と酒浸りの中、上の子供たちにも見捨てられ、アグネスは自殺未遂に及ぶ。一時は立ち直りかけたものの、ふとしたことでまた元の道に戻ってしまったのだ。貧困生活、アルコール依存症、家庭崩壊。本作はそういう行き詰まった状況を末っ子シャギーとの関わりを通して描いている。タイトルは「シャギー・ベイン」であるものの、シャギー本人のエピソードはそう多くない。母親が主人公と言っていいくらい彼女のエピソードで溢れている。
アグネスの転落が始まったのは最初の夫と別れてからだ。最初の夫はカトリックでアグネスに忠実だった。稼いだ金をパブで散財せず、きちんと家に持ち帰ってアグネスに預けている。ところが、アグネスはその誠意を喜ばなかった。最初の夫に物足りなさを感じたアグネスは、シャグというプロテスタントの男とくっつくことになる。シャグは最初の夫とは正反対のクズ男だった。彼は金遣いが荒いうえに、浮気性で徹頭徹尾自分のことしか考えてない。結局はアグネスを捨てて他の女のところに転がり込んでいる。いつの時代も女は誠実な男よりも性悪な男に惚れるものだ。女を殴るバンドマンがモテるのもその暴力性ゆえである。ともあれ、アグネスは最初の夫と別れなければ幸せな家庭を築けただろう。後に長男が様子を見に行ったとき、最初の夫は新たな家庭を築いて幸せそうにしていた。刺激的な恋愛を望むか、あるいは退屈な相手で満足するか。とかく女の本性とは難しいものである。
後にアグネスと出会ったユージーンは最初の夫と同じくカトリックである。また、最初の夫と同じく誠実そうだった。この時点でアグネスはAA会に通って禁酒をしており、人生が上向いている。それまで男の趣味が悪かったアグネスも、シャギーとの破局でさすがに懲りたのだろう。以前のようにクズ男に惚れることはなくなった。慎ましくもやさしい性格をしたユージーン。アグネスにとってユージーンは理想の再婚相手に見えたが……。
思わぬ陥穽によってまた元の道に戻ってしまうところが本作の悲しいところであり、人生とはままならないものだと痛感する。結局のところ、「自分を助けられるのは自分のみ」なのだ(これは長男のモットーでもある)。アグネスには自分を助けるだけの力がなかった。だから男に翻弄されて転落してしまう。決して這い上がれない蟻地獄にはまったのがアグネスであり、こればかりは本人の資質や周囲の状況が絡んでどうしようもない。本作は環境要因に注目した典型的な自然主義文学と言えよう。