海外文学読書録

書評と感想

ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』(2012)

★★★★

連作短編集。「太陽と月と星々」、「ニルダ」、「アルマ」、「もう一つの人生を、もう一度」、「フラカ」、「プラの信条」、「インビエルノ」、「ミス・ロラ」、「浮気者のための恋愛入門」の9編。

おれは違う父ちゃんを予想してた。身長は二メートルくらいで、おれたちの町を丸ごと買えるくらいの金がある父ちゃんだ。でもこの父ちゃんは普通の背の高さで、普通の顔つきだった。父ちゃんはサントドミンゴの家にぼろぼろのタクシーで来て、持ってきたおみやげは小さなものばかりだった――玩具の銃とコマだ――おれたちはもうそんなもので遊ぶ歳でもなかったし、どちらもすぐに壊してしまった。父ちゃんはおれたちを抱きしめ、マレコンに夕食に連れてってくれたけど――おれたちが食った初めてのステーキだった――父ちゃんのことはなんだかよくわからなかった。父親ってのはよくわからないもんだ。(pp.135-136)

ユニオールという浮気男に焦点を当てている。ユニオールは『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』【Amazon】で語り手を務めていたらしいが、同書を読んだのが11年前なのですっかり忘れていた。

ちなみに、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』は21世紀最高の文学作品で、ピュリッツァー賞と全米批評家協会賞を受賞している。2011年に翻訳出版されて以降、未だにこれを超える21世紀文学が出てこない。オールタイム・ベスト級の逸品である。

以下、各短編について。

「太陽と月と星々」。ユニオールはマグダと付き合っていたが、浮気相手からの手紙でマグダに浮気がバレてしまう。修羅場は切り抜けたものの、以前のような関係には戻らない。そんな矢先、2人でドミニカを旅行するが……。読者に話しかけるタイプの語りが良かった。ぶっきら棒で時々スペイン語が混ざる。それはさておき、洞窟ですべてを悟るのはさもありなんという感じだった。確かムハンマドも洞窟で啓示を受けていたような。諦めの悪かった浮気男が諦めに至る瞬間。これぞヘウレーカではないか。

「ニルダ」。ニルダは語り手の兄ラファの彼女だった。ニルダはある時からヤリマンと化し、マッチョなラファにぞっこんになる。一方のラファはモテモテで複数の女と寝ていた。そんな2人に別れの瞬間がやってくる。ニルダとラファの関係はあくまで第三者から見たものなので、読者にも決定的な部分は分からない。ただ、最後の晩にはすれ違いがあったことが示唆されている。体の相性は良くても心は通じなかったということだろう。ラファのほうにその気がなかった。肉体が先行した関係は残酷だ。

「アルマ」。ユニオールにはアルマという名の彼女がいたが、ユニオールが浮気していたことがバレて別れることになる。これは少し変わった語りで、ユニオールのことを「お前」と呼びかけながら破局までの経緯を明らかにしていく。本作はこの語りを使いたいがために作られたのだろう。分量も短めだった。

「もう一つの人生を、もう一度」。病院で働くヤスミンはラモンと同棲していた。ラモンは8年かけて貯めた金で家を買おうとしている。ヤスミンはラモンが密かに女と文通していることを知っており……。今回は移民文学の色彩が強かった。ヤスミンもラモンもギリギリのところで生活している。仕事はろくでもないし、買った家は廃墟同然だし、ここから明るい未来に至る可能性は皆無だ。しかしそれでもなお、ラテン・アメリカの人たちは希望を持ってアメリカに移民してくる。本作を読んで、SDGsもやむなしと思うのだった。

「フラカ」。ユニオールは白人女と何となく付き合い、彼女のことをフラカと呼んでいた。ところが、現在ではもう別れの予感がしている。出会いと別れは人間関係の必然だけど、別れたときの喪失感は別の出会いで埋めるしかないのだろう。だからユニオールは女を取っ替え引っ替えする。ところが、途中に出てくる「親父」はそうではなかった。「親父」の手についた噛み跡が物悲しい。

「プラの信条」。ユニオールが17歳のとき、兄のラファは癌で死にかけていた。心身が衰弱していたラファはプラというドミニカ娘と結婚する。ところが、ラファの母親はそれを許していなかった。母親はラファとプラを家から追い出す。これは恋人関係というよりは家族の絆を描いた小説だろう。ただ、母親と息子も擬似的な恋人関係と捉えられるから、その辺の境界は曖昧である。傍から見ると母親は甘やかしすぎだけど、そういう親心は貴重だと思う。一般論として、世間の親子は無償の愛で繋がっている。そして、本作はラファとユニオールの兄弟関係も見逃せない。ラファが有言実行するラストは微笑ましかった。

「インビエルノ」。アメリカで働いていた父親が、ユニオールら家族をドミニカから呼び寄せる。ところが、母親はここでの生活に乗り気ではなかった。作中では大雪が降ってるけど、これはアメリカが異国あることを象徴しているのだろう。ドミニカでは雪が降らないから(たぶん)。こういうところも母親がメランコリーを感じる一因になっているのではないか。あと、本作を読んで「もう一つの人生を、もう一度」に出てきたラモンがユニオールの父親であることに気づいた。

「ミス・ロラ」。ユニオールはプエルトリコ人の女と恋仲になるも彼女はやらせてくれない。仕方なく母親の知人であるミス・ロラと肉体関係を結ぶ。ミス・ロラは元体操選手で筋張った肉体をしていた。ミス・ロラはユニオールに町を出るようアドバイスしていて年の功を感じさせる。ユニオールにとって彼女は思い出深い女性ではあるけれど、時が経つにつれて記憶は薄れ、自分の中を通り過ぎていった女たちの一人になる。でも、すっかり縁が切れてからインターネットで名前を検索するあたり、やはり特別な女性なのだ。

浮気者のための恋愛入門」。大学で終身在職権を得たユニオールだったが、彼女に浮気がバレてしまう。その後、作家として活動しながら月日が流れていき……。2018年に作者のジュノ・ディアスがセクハラで告発されたけれど、それを踏まえると一連の短編は私小説なのかなと思う。期せずして答え合わせができた。