海外文学読書録

書評と感想

サンティアゴ・H・アミゴレナ『内なるゲットー』(2019)

★★★

1940年のブエノスアイレス。家具店を営むビセンテ・ローゼンベルクは、ポーランドからの移民にしてユダヤ人だった。彼は祖国に母を残している。当初は母から頻繁に手紙が届いていたが、最近はめっきり減っていた。やがてポーランドではドイツ人によってゲットーが作られる。そして、悪名高い虐殺が始まるのだった。

反ユダヤ主義の始末に負えないのは、たえずユダヤ人であることを意識させられること、自分の意思とは無関係にこのアイデンティティに閉じ込められ、何者であるかを頭ごなしに決めつけられてしまうことだ。ビセンテはなにかがもたらされたとも、自分がなにであり誰であるか啓示されたとも感じなかった。ああ、今やっと分かった、僕はユダヤ人だ!――などとは思っていなかった。ビセンテは多くのユダヤ人同様、反ユダヤ主義が存在するにはユダヤ人が必要なのだ、と単に理解しはじめ、反ユダヤ主義者が自らそう任じるとしても、ユダヤ人自身にユダヤ人でないと主張させはしないという事実に直面しつつあった。(p.60)

自分が何者かよく分かっていない男が、ヨーロッパで進行しているホロコーストをニュースで知り、それによって変化していく様子を描いている。1928年にブエノスアイレスに移住したビセンテは、ユダヤ人であり、ポーランド人であり、アルゼンチン人だった。自分を唯一の何か、凝り固まった不変の何かだと思うことができない。つまり、他者にこれと言って示せるアイデンティティがないのだ。ユダヤ人だと言われても、もうイディッシュ語は話してないし、生活様式だってすっかりアルゼンチンに馴染んでいる。また、ポーランド人だと言われても、かつて祖国解放に尽力したのにユダ公扱いされたために複雑だ。自分はユダヤ人なのか、それともポーランド人なのか、あるいはアルゼンチン人なのか。妻子と暮らすビセンテは、ブエノスアイレスに居ながら祖国の凶事に思いを馳せることになる。

ヨーロッパでの戦乱が進むにつれ、ビセンテユダヤ人としての自覚を強めていく。ポーランドには母がいるし、報道によるとユダヤ人はドイツ人によってゲットーに閉じ込められているようだ。これにはビセンテだって心を動かされないわけがない。そして極めつけは1942年7月、ユダヤ人虐殺のスクープがブエノスアイレスにもたらされたとき、彼の中で決定的な変化が起きるのだった。ユダヤ人の痛みはヨーロッパだけで完結するものではなく、南米のように戦乱から無縁の地域でも拡散している。それは古代から続くディアスポラの延長上にあるのだろう。ナチスによるホロコーストユダヤ人が歩んだ歴史の総決算なのだ。彼らはとにかく、痛めつけられ、痛めつけられ、痛めつけられてきた。有史以来、ひたすら虐待されてきたのは恐ろしいと言わざるを得ない。

一般的にナチスによるユダヤ人絶滅計画は「ホロコースト」と呼ばれているけれど、これは戦後になってその所業に名前をつける際、紆余曲折があってつけられたという。他には「ジェノサイド」や「ポグロム」なども挙がっていたようだ。本作ではそのどれでもなく、「ショアー」という言葉が使われている。この名づけるという行為にも政治性があって、最近では新型コロナウイルスでそれを痛感したのだった(正式名称は「COVID-19」だが、一部の人は「武漢ウイルス」と呼んでいる)。