海外文学読書録

書評と感想

ジェームズ・ロバートソン『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』(2006)

★★★

スコットランドの出版社にギデオン・マック牧師の手記が持ち込まれる。そこには彼の生い立ちのほか、突如森の中に出現した巨大な立石や、洞窟での悪魔との対話といった超常的な体験が書かれていた。マック牧師は厳格な家庭で育ち、信仰心のないまま牧師になったことを明かしている。彼はベン・アルター山で遺体で発見された。

「どれほどの確信を持つ無神論者でも、死の瞬間には少しくらい恐れるものでしょうね」彼女が言った。「もしかしたら、宗教のことなんてろくに考えない私みたいな人間よりずっとね。もしあなたが無神論者だったら、それを貫き通せると思う?」

私はパスカルのコインを思い出した。そして、確実な死を前にしてもまったく恐れなかったデビッド・ヒュームを。「キャサリン無神論者なんかじゃなかったんだよ」私は言った。「あの人は不可知論者だったんだ。神の存在を否定するのは、神の存在を断言するのに等しく傲慢かつ愚かな行為だと言っていたよ。現実だと分かっているものを信じることこそ、唯一の分別ある道なんだってね」(p.346)

原題は"The Testament of Gideon Mack"。デイヴィッド・コパフィールド式の自叙伝というか遺書なのだけど、そこは出版社に持ち込まれた手記という入れ子構造になっていて、どこまでが本当でどこからが嘘なのか分からない、なかなか面倒な話になっていた。まあ、曲がりなりにも現代文学だから、「信頼できない語り手」を踏まえつつ、ベタな語り方はしないということなのだろう。読んでいる最中は物語に引き込まれて事の真偽なんてあまり気にしなかったけれど、作中にたびたび編者の注釈が入ることでこれが手記であることを再確認させられる。また、エピローグでは違った視点から彼の物語を捉えていて、解釈の余地を残すような工夫が凝らされている。しかし、基本的には自分の人生を語るストロングスタイルの物語なので、古典的な楽しみと現代的な楽しみが味わえる一粒で二度美味しい小説という感じだ。この世で最高の娯楽は、他人の人生を覗き見することである。本作は変則的でありながらもそういうニーズをきっちり満たしてくれるので、デイヴィッド・コパフィールド式の古典的な物語が好きな人ならはまるかもしれない。

主人公が牧師なので、当然ながら信仰が重要なトピックになっている。マック牧師は信仰心がないまま牧師になった稀有な存在なのだった。現代社会においては、牧師は弁の立つ社会福祉士みたいなもので、共同体の世話焼きさえしていれば信仰心は必要ないのかもしれない。僕の知人に住職の跡継ぎがいるけれど、彼が仏教を信仰しているかといえば、答えは否である。たまたま父親が住職だから自分も住職になるだけのことだ。ということは、欧米でも牧師だからといって無条件にキリスト教を信仰しているとは限らないのではないか。世界はもう神も悪魔も必要としていないのだから、職業としての牧師が形骸化するのも仕方がないことだろう。これが果たして良いことなのか悪いことなのか、なかなか判断が難しいところではある。

本作の最大の見どころは、マック牧師が悪魔と対話する場面である。この悪魔が従来の悪魔とは違った造形をしていて、本当に悪魔なのか分からない。悪魔のくせにマック牧師の命を助け、さらには傷まで治してくれる善人ぶりである。思うに、この世に神と悪魔(みたいな超越者)がいるとして、それが果たしてキリスト教の世界観に合致するかと言ったら、その可能性は限りなく低いだろう。キリスト教以外のすべての宗教ともおそらく合致することはないはずだ。というのも、宗教とは人間の想像の産物、すなわちフィクションであるから。結局のところ人類は、フィクションの中に生きてフィクションの中で死ぬ、そんな哀れな存在なのかもしれない。