海外文学読書録

書評と感想

リュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン』(2006)

★★★★

ポーランドユダヤ人ダニエル・シュタインはナチスユダヤ人狩りから逃れ、出自を隠したままゲシュタポで通訳を務めることになった。ゲットーの殲滅作戦を知った彼は、策略を駆使して300人のユダヤ人を逃亡させる。戦後、カトリックに改宗したダニエルはイスラエルに渡り、神父として初期キリスト教的な布教をする。

イスラエルへ来た時、私にとって重要だったのは、我らが師はいったい何を信じておられたのかを理解することでした。あの時代のことを深く学べば学ぶほど、イエスは紛れもなくユダヤ人だったのだとはっきり認識するようになりました。彼は戒律を果たすよう説教の中で呼びかけましたが、単に戒律を守るだでは不十分で、愛こそが神に対する人間の唯一の答えであり、人間の行動の中で大事なのは、他の人に悪を為さないこと、そして共感と慈悲だと考えていました。師は愛を広げるよう呼びかけたのである。キリストは新しい教義は作りませんでした。その教えの新しさは、愛を律法よりも上に位置づけた点にありました……。この世に長く生きれば生きるほど、私にはこの真理がはっきりと見えるようになりました。(下 p.304)

ナチスからユダヤ人を救ったというから『シンドラーのリスト』【Amazon】みたいなのを想像していたら、話は戦後の宗教活動に重点を置いていて、信仰の多様性をテーマに据えた小説だった。しかも普通の物語形式ではなく、複数の人物の書簡を集積したモザイク状の構成になっており、多様性という極めて現代的なトピックを極めて現代的な手法で表現している。結局のところ、信仰も民族も違うバラバラな「声」を反映させるにはこうするしかないわけで、本作はテーマと手法ががっちり噛み合った小説だと言えよう。現代文学の醍醐味が味わえる。

ダニエルの教会は初期キリスト教時代のような雰囲気で、キリスト教は多文化的であったという信条で運営されている。ダニエルには異教徒の知人が多く、また彼も元々はユダヤ教からの改宗者だ。一方、信仰の芯はキリスト自身にあるとし、ギリシャ人が定めた聖三位一体については否定している。これはカトリックの教義に反することだった。この件については教皇も出張るほどの一大事になるものの、しかし、そもそも信仰について各自が真剣に考えたら、とてもじゃないがひとつの宗派にまとまることは不可能だろう。聖書を検討し、イエスの教えを点検したら見解が別れるのも仕方がない。無宗教の僕が言うのも何だけど、宗教とは原理的に一人一派にならざるを得ないのではないか。教会が信者に規範を押し付けるのは、多様性からもっともかけ離れた行為だと思う。

「無理解」をキーワードにしてホロコーストからパレスチナ問題まで広く射程に収めているところが野心的だった。被害者だったユダヤ人がいつしか加害者になっている構図は歴史の皮肉と言うべきものである。世界は無理解に満ちている。人々は無理解ゆえに憎み合っている。最大の無理解は、人間が神を理解していないことだった。こうやって宗教的な話に傾いてしまうのには若干の戸惑いをおぼえるものの、一方で他者への無理解が世界に満ちていることも事実だ。我々は理解しようとすれば他者を理解できるのかと言えば、そう簡単にはいかない。たとえば、ユダヤ教キリスト教の神はわがままに振る舞う理解不能な存在で、それゆえに神秘的な神性を獲得している。人に理解されたら求心力を失ってしまうのだ。それに対し、人と人との無理解はまだ解消の余地があり、各自が努力すれば理解への道筋は開かれるだろうと推測できる。実際、ダニエルがやっていることはそのような壁を取り払って多様性を認めることだった。宗教にせよ民族にせよ、各人の違いを受け入れつつ共生する。これこそが現代社会の課題と言えるだろう。

ダニエルの弟が無神論者で、「地中に埋められた六百万のユダヤ人は、神なんぞいないっていう何よりの証拠さ」と嘯いているのは、先進国に住む一般人の見解を代弁しているように見えた。