海外文学読書録

書評と感想

村上春樹『騎士団長殺し』(2017)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

 

★★★

画家の「私」は、6年連れ添った妻から突然別れを切り出される。「私」はそれを了承して家から出ていき、友人の伝手で高名な日本画家が住んでいた山荘を借りる。ひょんなことから「私」は、屋根裏で「騎士団長殺し」と題された未発表の絵を見つけるのだった。その後、免色と名乗る謎の人物から肖像画を描くよう依頼される。

彼女はため息をついた。あちこちのため息をひとつにまとめ、圧縮したようなため息だった。そして言った。「あなたが今ここにいるといいと思う。そして後ろから入れてくれるといいなと思う。前戯とかそういうのはとくにいらない。しっかり湿ってるからぜんぜん大丈夫よ。そして思い切り大胆にかき回してほしい」(上 p.269)

ハードカバー版で読んだ。引用もそこから。

本作は相変わらずの村上節で、期待していたほどではないものの、しかしそれなりに読書の楽しみを味わわせてくれた。喪失を抱えた「私」の生活に非現実が入り込み、ファンタジックな回路によるイニシエーションを経て、最後はめでたく大団円を迎える。村上春樹の小説がなぜベストセラーになっているかと言えば、近代以前の古典文学における異界の伝統を、現代人向けにソフィスティケートして提供しているからだろう。核の部分には異界という日本文学の伝統があって、その周りを欧米の文学や音楽といった外来文化で包んでいる。要するに、和洋折衷ってやつだ。個人的に村上春樹の小説は、『源氏物語』【Amazon】にまで遡る古典文学の発展的進化形という位置づけだけど、しかしこんなことを書いたら一部の文学ファンに噛みつかれそうだ。あんなの二流のポルノ作家だろ、みたいに。でも、村上春樹って日本文学の文脈から外れた世界文学の作家だと思われがちだけど、実は彼こそが正統派ど真ん中の日本文学なのだということを僕は主張したい。

本作を読んで驚いたのが、「私」を含めた主要人物が子供を持つことだった。今までの村上文学ではあり得ない展開だろう。しかし振り返ってみれば、『1Q84』【Amazon】ではそれまで徹底的に避けていた父との関係を正面から書いていたので、少しずつ課題を克服しているような趣がある。若い頃に目を背けていたものに向き合い、1作ごとに精算しているというか。だから著者の小説を年代順に読んでいくと、だんだんと成熟しているのが分かる。ターニングポイントになったのが、2002年に発表された『海辺のカフカ』【Amazon】だろうか。ここから成熟が始まったような気がする。

ところで、中国文学研究者の藤井省三は、『世界は村上春樹をどう読むか』Amazon】のなかで次のように述べている。

日本には二十世紀の初めと終わりにそれぞれ強い歴史意識を文学で語ろうとした作家が登場しました。ひとりは夏目漱石です。漱石の歴史意識というのは日本近代の終わりへの予感でした。具体的に言いますと、日本の上海から朝鮮半島まで東アジア進出に対するひじょうに大きな憂慮です。この憂慮のあまり漱石は、中国人留学生に襲われたと言いたてる「夜の支那人」事件を起こすなど、神経衰弱に陥りました。もうひとりは村上春樹です。村上の歴史意識というのは現代日本から過去を振り返る「歴史の記憶」です。(p.204)

「歴史の記憶」というと、『ねじまき鳥クロニクル』【Amazon】に出てきたノモンハン事件を真っ先に思い出すけれど、実は本作にもそういう要素が出てくる。すなわち、ナチスによるアンシュルス*1と日本軍による南京虐殺事件だ。戦争を体験した世代が次々と亡くなっている現在、文学がこういう負の歴史に目を向けるのはますます重要になっていると僕は思っていて、読者が自然に飲み込める形、つまり作劇上の内的必然性を持った形で歴史に言及しているところが好ましい。ただ、欲を言えば、この要素を終盤にまで持ち越して、びしっとダメ押ししておけば強い印象を残したと思う。読後は、「そういえば、そんなこともあったな」程度にしか覚えてない。これはちょっと残念だったかな。

まあ、何だかんだ言って村上春樹は気になる作家なので、新作が出たらこれからも読んでいくつもりだ。今回みたいにブログでも取り上げるかもしれない。