海外文学読書録

書評と感想

フィル・クレイ『一時帰還』(2014)

★★★★

短編集。「一時帰還」、「断片命令」、「戦闘報告のあとで」、「遺体処理」、「OIF(イラク自由作戦)」、「兵器体系としての金」、「ベトナムには娼婦がいた」、「アザルヤの祈り」、「心理作戦」、「戦争の話」、「それが開放性胸部創でないのなら」、「十クリック南」の12編。

「家に戻ってきてよかったでしょう?」

シェリルの声は震えていた。どういう答えが返ってくるのか心配しているみたいだった。俺は言った。「ああ、ああ、もちろんだよ」。シェリルは俺に激しいキスをしてきた。俺は彼女をぎゅっと抱き締め、体を持ち上げて、寝室まで運んで行った。思い切り笑顔を浮かべてみたが、あまり効果はなかった。シェリルは俺のことを怖がっているようだった。たぶん、すべての女房が少しは怖がっていたのだろう。(p.10)

全米図書賞受賞作。

イラク戦争を多角的に捉えた短編集でとても面白かった。戦争を一編一編違った角度から見るのは短編集ならではのやり方で、文学の強みを生かしていると思う。映画やノンフィクションでこの味わいを出すのは難しいのではなかろうか。

これについて、作家のH・M・ナクヴィがいいことを言っている。以下は上岡伸雄『テロと文学』【Amazon】から。

「文学はルポルタージュを補完し、現実を具体化することができます。ニュースはニュースです。一日か二日しか寿命がありません。文学は永遠に残るのです」(p.140)

実に頼もしい言葉ではないか。文学にはルポルタージュ以上の力がある。

以下、各短編について。

「一時帰還」。海兵隊員のプライス三等軍曹が、戦地からアメリカへ一時帰還する。久方ぶりの妻との再会。その後、彼は愛犬を始末することになる。ヴィジュアルとしては『アメリカン・スナイパー』を連想した。というのも、イラク戦争についてのイメージソースがあれくらいしかないので、思えば、あの映画でも主人公が何度か一時帰還していた。それで本作、犬の射殺で始まって同じく犬の射殺で終わる構成は、分かってはいても巧みに感じる。それと、ライフルを預けて手持ち無沙汰になる場面は妙にリアルだった。『フルメタル・ジャケット』【Amazon】によると、「This is my rifle, My rifle is my best friend.」なので。そして、ぶっきら棒な文体がまた良し。

「断片命令」。IED(仕掛け爆弾)の工場になっている民家を襲撃する。隊員の一人がハジ(回教徒)に撃たれて負傷する。この短編集、EPW(捕虜)とか、SOB(雌犬の息子)とか、AQI(イラクアルカイダ)とか、やたらと略語が出てくる。軍隊ではこれが常識なのだろう。また、本作はラスト一段落が印象深い。食事中に放心する兵士とそれをケアする上官の「俺」。どちらも大変だ。

「戦闘報告のあとで」。MRAP(耐地雷・伏撃防護車両)が爆破された後、何者かから銃撃を受ける。同僚のティムヘッドがそいつを射殺したが、相手は年端のいかぬ少年だった。「俺」がその罪を被る。軍隊には一握りのサイコパスと圧倒的大多数の健常者がいるそうだけど、後者が正気を保つにはそれなりの手続きが必要なのだろう。特に現場の兵士たちは若い。ニンテンドーDSポケモンをやるような世代だ。そんな若者が自分の弟みたいな少年を殺してしまう。アメリカがドローンによる遠隔攻撃に舵を切った理由が何となく分かった。

「遺体処理」。イラクで遺体処理の仕事をしている「俺」は、海兵隊に入隊することで当時の恋人レイチェルと破局することになった。「俺」は休暇のとき、G伍長と女をナンパする。人はなぜ軍隊に入るのだろう? という疑問を長年にわたって抱いている。徴兵制なら仕方がないにしても、志願制の国でなぜ入隊するのか? ある人物は愛国心からだろうし、別の人物は経済的理由からだろう。あるいは、合法的に人を殺したいという動機も有力だ。しかし、中にはそれらからこぼれ落ちた兵士も一定数いるわけで、彼らの気持ちをシミュレートすることができないでいる。

「OIF(イラク自由作戦)」。「俺」はFOB(前線基地)を出てMSR(補給幹線)を走る。すると「俺」たちの乗ったHMMWV(高機動多目的装輪車両)が横転して炎上した。短めの短編だけど、とにかく略語が頻出して何が何やら分からなくなっている。これはある種の文学的実験だろうか。専門的な表現はそれ自体が異化効果をもたらす。

「兵器体系としての金」。イラク復興のためにやってきた「私」。現地ではいくつか手違いがあり、さらには野球のユニホームが大量に届いている。スポーツ外交の一環としてイラク人に野球を広めるのだという。イラク人はサッカーしかやってなかった。アメリカが世界を自分たちの文化で染めたがっていることを皮肉な調子で描いている。彼らには日本という成功体験があるからね。種を蒔いておけばゆくゆくは大きな市場に成長する。でも、この政策は果たしてイスラム教国でも有効なのだろうか?

ベトナムには娼婦がいた」。イラクに行く直前、「俺」は父さんからベトナム戦争のことを聞かされる。ベトナムには娼婦がいたとか。一方、イラクには娼婦がいなくて兵士たちは自慰をしている。本作を読んで従軍慰安婦を思い出したが、これについて熱く語ったところでろくなことにならないので控えておく。しかしまあ、軍隊にとって性欲の処理は重要な問題だ。携帯型プッシー(オナホール?)を隊員で共有しているというエピソードには思わず失笑した。

「アザルヤの祈り」。従軍牧師のところにロドリゲス上等兵が話をしにくる。ロドリゲスは牧師に同僚の戦死の真相を語る。銃撃を受けた数だけ部隊の評価があがるというのは、前線の兵士に誤ったインセンティブを与える。だからフルチンでジャンピングジャックなんてことをやらかす。それはそうと、イラク戦争ってアメリカが勝利したという認識だけど、実はベトナム戦争と同じくらい現場の人間は傷を負っている。さらに、イラク人にとって彼らは解放者ではない。人殺しとして大いに恨まれている。もう先の大戦みたいに勝利を祝うなんてできないみたいだ。

「心理作戦」。帰還兵のワグィが、同じ大学に通う黒人女性のアマーストに戦争の話をする。ワグィはアメリカ在住のアラブ人でコプト教徒だった。一方のアマーストイスラム教徒に改宗したばかり。ワグィはイラクで心理作戦を担当しており……。戦争とはあの手この手を使って敵を殺すのだなあと思った。たとえ銃を撃たなくても、言葉で人殺しに加担することができる。あと、帰還兵が無価値な民間人に対して優越感をおぼえるという指摘には目から鱗が落ちた。かつて世間を騒がせたシリア北大生も、これを味わいたくてあんな事件を起こしたのだろう*1。自分は特別な人間なのだとイキるために。ホント、しょうもないな。

「戦争の話」。戦場で大火傷を負ったジェックスが取材を受ける。相手は戦争に反対する芝居を書いている人。帰還兵とコラボしているという。本作でもっとも心に残ったのが、「反戦映画なんてないんだよ」というセリフで、これは映画好きだったらピンとくると思う。戦争映画には多かれ少なかれ「快楽」が仕込まれていて、我々はそれが欲しくて映画を観ている。『フルメタル・ジャケット』【Amazon】や『プラトーン』【Amazon】を観て海兵隊に入った人も大勢いるだろう。人殺しの快楽、非日常の快楽。戦争映画は麻薬である。

「それが開放性胸部創でないのなら」。除隊して法曹界に入った「僕」が、アフガニスタンから帰ってきた同僚と再会する。なるほど、軍隊では士気をあげたり、新兵を勧誘したりするために死を美化する必要があるのか。死者を英雄にする。人間は愚かだからそういう詐欺にほいほい引っ掛かってしまう。自分が死んだら元も子もないのに。この世で一番信用してはいけないのはヒロイズムだ。

「十クリック南」。砲兵隊がICM(改良型通常弾)を撃ち込んでゲリラの集団を始末した。ナイフで人を刺すのと銃で人を撃つのとでは、殺人への抵抗感がだいぶ違うそうだけど、ミサイル攻撃だとより一層の違いがあると思う。何せ敵の死体すら見ないのだから。敵との距離が遠ければ遠いほど抵抗感が薄れる。それにしても、本作は書き出しが素晴らしい。たったいま人を殺した兵士は健康的な食事を心がけている。このギャップがたまらない。

*1:2014年8月頃、北海道大学の学生(26)がISの戦闘活動に参加する目的でシリアへの渡航を企てた。