海外文学読書録

書評と感想

濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021/日)

★★★

俳優・舞台演出家の家福(西島秀俊)には長年連れ添った妻・音(霧島れいか)がいた。2人の関係は何事もなく円満に思われたが、ある日、家福が音の浮気現場を目撃してしまう。そして、音はくも膜下出血で他界するのだった。2年後。広島の演劇祭に招待された家福は、ドライバーのみさき(三浦透子)を紹介され、彼女に愛車の運転を任せることになる。そして、演劇のオーディションには音と浮気していた高槻(岡田将生)が応募していて……。

原作は村上春樹の同名小説【Amazon】。

思ったよりもセリフで説明してくれるので、僕みたいな読解力のない観客でも分かりやすかった。そこはありがたい。しかし、映画として見るとあまりに説明過剰に感じる。寝物語に演劇とせっかく重層的な構造を取っているのだから、もう少し遠巻きに説明しても良かったのではないか。特に演劇では多言語による多彩な表現が見所だけに、会話でストレートに語ってしまうところに拍子抜けした。内心を告白することで自分と向き合うのが本作の主題にしても、主要人物が自己開示してセラピーじみたことをするのが引っ掛かる。そういうのは文字で表現する小説だから様になるのでは? また、音のシェラザードみたいな設定やみさきの特異な生い立ちなどは村上春樹っぽいが、それを血肉の通った人間が演じると、そこだけリアリティラインが下がって違和感が生じる。風景も人間も現実のものを使っているのに、要所要所でやっていることがファンタスティックなのだ。個人的には、村上春樹っぽい部分を消してくれたほうがすんなり受容できた。むしろ、村上春樹のテイストが邪魔ですらある。

とはいえ、こういうところが原作付き映画の難しいところだ。原作の色を監督の色でどれだけ上書きできるか。中途半端にリスペクトしているとそれができない。ぐちゃぐちゃに解体して再構築しても原作の色が残ってしまう。その点、最近見た『岸辺露伴は動かない』は塩梅が絶妙だった。小説と映画、あるいは漫画とドラマ。原作を異なるメディアに移し替える仕事の理想形になっている。メディアはそれぞれ特性が違うのだから、弱みを小さくして強みを引き出すことが重要なのだ。特に村上春樹の小説はリアリズムの枠内からはみ出ているから移し替えるのが難しい。たとえば、やつめうなぎのエピソードは劇中の作り話だから光っている。それに対し、みさきの特異な生い立ちは生の体験だからしっくりこない(率直に言えば嘘臭い)。小説の登場人物は文字に過ぎないが、映画の登場人物は血肉を持った人間である。血肉を持った人間には存在に説得力が必要なわけで、リアリティラインを巡ってはそういった難しさがある。

俳優陣の中ではユナ役のパク・ユリムが素晴らしかった。ユナは耳は聞こえるが言葉を発することができない。コミュニケーションは専ら手話で行っている。そんな彼女は表情が実に豊かで、とりわけ家福とみさきを交えた食事シーンは絶品だった。言葉は一切話さないのに、表情と身振りで雄弁に自己表現している。僕が本作に求めたのはこの方向性だったのかもしれない。本作はセリフで説明し過ぎていて拍子抜けだった。