海外文学読書録

書評と感想

ジョン・カサヴェテス『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976/米)

★★★★

ナイトクラブのオーナー・コズモ(ベン・ギャザラ)は、クラブの借金を返し終わって名実ともに一国一城の主になった。そんな彼がスタッフを連れていかがわしい店に入る。コズモはポーカーに負けてマフィアに多額の借金することになった。後日、そのマフィアから借金の減額を条件にしてある取引をもちかけられる。それは西海岸を牛耳る大ボス、チャイニーズ・ブッキーの殺害で……。

相変わらず癖の強い映画だが、見ていくうちに夜の世界の魅力に目覚めていくから不思議だ。最初はクラブの出し物が面白いとは思えなかった。ミスター・ソフィスティケーション(ミード・ロバーツ)のトークショーに、女の子たちのストリップショー。酒の席の賑やかしとしてなら悪くないかもしれないが、ひとつの舞台作品として見ると何がいいのか分からない。しかし、見ていくうちの彼らスタッフが愛おしくなっていく。家族みたいな連帯感に惹かれていく。その中心にいるのがコズモで、鷹揚なボスとしてスタッフ一同をまとめている。そこには家父長制の魅力が詰まっていた。

コズモの面白いところは、のっぴきならない状況に追い詰められたのに、ちょくちょくクラブの運営状況を気にしているところだ。自分の身の安全よりもクラブのことを心配している。マフィアに殺しを強要されたときは帰りにクラブに電話していたし、チャイニーズ・ブッキーの部下に腹部を撃たれたときも頭にあったのはクラブのことだった。傷の治療よりもクラブに顔を出すことを優先させている。コズモにとってクラブこそが人生を集約した宝物なのだろう。見た感じ妻子はいないし、付き合っている女もクラブの踊り子だ。人生のすべてがクラブに注ぎ込まれている。そして、コズモにとってスタッフは家族のようなもの。その疑似家族的な連帯が魅力的である。

『アメリカの友人』もそうだったが、犯罪映画にはマフィアが素人に殺しをさせるものがちらほらある。大抵の素人は銃を扱えないし、そもそも不確定要素が大きくて余計な混乱を招きかねない(何をするか分からない怖さがある)。それでもマフィアは素人に依頼する。正直、なぜそういうことをさせるのか分からない。プロを雇ったほうが確実ではないか。ともあれ、コズモの不幸はターゲットのアジトに運良く侵入できたことにあった。巡回の目をすり抜け、番犬を手懐け、まんまとターゲットの居場所にたどり着いている。こうなったらもう撃つしかない。案の定、撃ってからは破滅に向かって真っ逆さまである。ここは入口で捕まっていたらワンチャン助かっていたかもしれない。侵入できてしまったことが運命の分かれ道だった。いずれにせよ、コズモの置かれた状況がかなりきつく、ここからハッピーエンドは無理だと思わせる。

コズモを始末にかかるマフィアの動きが面白い。相手の居場所を探りつつ、時に大袈裟なアクションを披露している。このシーンにけっこう尺を割いているのだが、銃を構えての一人相撲が滑稽だった。まるで見えない敵と戦っているようである。また、映像面ではドキュメンタリータッチによって独特の生々しさを出しているところが良かった。ジョン・カサヴェテスは一味違うなと感じ入る。終わってみれば満足度の高い映画だった。