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(1) 父ヴィトーの跡を継いだマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は、ネバダ州に拠点を移してカジノ利権で稼いでいた。ところが、彼はニューヨークの縄張り争いに巻き込まれ、何者かの襲撃を受ける。(2) シチリア島でマフィアに家族を殺されたヴィトー(ロバート・デ・ニーロ)はアメリカに移民し、仲間たちとカタギの生活を送っていた。ところが、地元のギャングを殺したことで人生が一変する。
『ゴッドファーザー』の続編。
前作も傑作だったが、続編の本作はそれ以上の出来だった。若い頃に見たときはここまでいいとは思わなかったので、たくさんの芸術作品(文学と映画)に触れて鑑賞能力を鍛えた成果は大きい。人間はいくつになっても成長するものである。自分の伸びしろを確認できたのが収穫だった。
マイケルとヴィトーを対比した構成が素晴らしい。2代目のマイケルは父の遺産をどのように保守し、また拡張していくかというのが課題だが、公私ともに複雑な状況下に置かれて思い通りにいかない。仕事では相変わらず命を狙われるし、プライベートでは信頼していた家族の離反が待っている。先代が築き上げたファミリーに崩壊の兆しが見えていた。一方、若き日のヴィトーは上り調子で、順調に家族と仲間を増やし、新しい事業も興している。彼には明るい未来が待っていた。創業者は失うものが何もないから勢いがあるのに対し、2代目は守るべきものがあるからどうしても停滞してしまう。おそらくマイケルとヴィトーでは能力そのものに差はないのだろう。となると、2人の大きな違いは環境ではなかろうか。王座に挑む側と守る側の違い。そう考えるとヴィトーはつくづく幸運だったし、マイケルは不運で難しい舵取りを強いられている。
本作の主題はマイケルの孤独で、ヴィトーと対比させたのもそれを浮き彫りにするためだ。ヴィトーによって作られた家族が、マイケルの代になって失われていく。ここで考えてしまうのは、もしヴィトーがマイケルの立場だったらどうなっていたかということだ。ヴィトーだったら身内を粛清しただろうか? 裏切り者を始末するのはマフィアの掟だから、マイケルのやったことは別に間違っていない。とはいえ、前作で地域共同体の長みたいな顔を見せていたヴィトーだったら、例外的に温情を示した可能性もある。そこは何とも言えない。いずれにせよ、マイケルは王であるがゆえの孤独を背負っている。
終盤に回想として兄弟の団欒を配置したところが良かった。ここではソニー(ジェームズ・カーン)もフレド(ジョン・カザール)も生き生きとしており、マイケルは慎ましい三男坊として自身の出征を告げている。ところが、いつしか兄弟たちは食卓を離れ、マイケルだけが取り残されるのだった。この短い回想によって、マイケルの孤独が強烈に印象づけられている。本作における最大のハイライトだった。