海外文学読書録

書評と感想

フランシス・フォード・コッポラ『ゴッドファーザー PART Ⅲ』(1990/米)

★★★★★

1979年。ニューヨークに拠点を戻して財団の運営しているマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は、多額の寄付をしたことでバチカンから叙勲されることになった。そこで大司教からある取引を持ちかけられ、投資会社の巨額買収に乗り出す。一方、マイケルの甥っ子ヴィンセント(アンディ・ガルシア)はファミリーで違法なビジネスを担当していたが、ある日、マイケルの娘メアリー(ソフィア・コッポラ)と相思相愛になる。

『ゴッドファーザー PART Ⅱ』の続編。

このシリーズはすべてに星5をつけてるけれど、飛び抜けて良かったのが2作目で、1作目と本作はだいたい同じくらいだった。もちろん、2作目に劣るとは言っても一流の映画であることには間違いなく、見終わった後の満足度は高い。シリーズの掉尾を飾る作品としてふさわしい内容だった。

今回はマイケルの晩年を描いているのだけど、彼が手に入れた地位と名声の裏にはぬぐい難い罪悪感があって、その年老いた姿と相俟って何とも言えない哀愁が漂っている。彼は人を殺し、殺させたことを悔いていた。特に実の兄弟であるフレドのことが忘れられず、ふとしたことから枢機卿に告解する。非情な世界で生きるマフィアにも、我々と同じ人間性が隠れていたのだ。こうした弱さは後の『ザ・ソプラノズ』に受け継がれていて、マフィアのボスが精神科医のセラピーを受けるまでに至る。殺人のプロでも暴力には耐えられない。これは戦場に赴く兵士にたとえると分かりやすいだろう。『戦争における「人殺し」の心理学』【Amazon】によると、第二次世界大戦中、米兵のライフル銃手のうち、実際に敵に向かって発砲したのは全体の20パーセントに過ぎなかった。残りの80パーセントはろくに銃口を向けなかったという。また、ベトナム戦争イラク戦争では、少なくない数の帰還兵がPTSDになっている。訓練された人間でも暴力には耐えられない。殺人とは精神に強烈な負荷をかける行為なのである。

人間は各々我欲を持っていて、それが複雑に絡み合うことで揉め事になる。特にマフィアは我欲の塊だから争いになりやすい。しかも、命のやりとりも辞さないのだから狂っている。本作ではそういった我欲のぶつかり合いが終盤のオペラに集約されていて、この部分のカタストロフはシリーズ随一だった。華々しいオペラの舞台裏で、複数の殺人劇が進行していくのである。一連のシークエンスは舞台設定とプロットが絶妙に噛み合っていてスリリングだった。

人を殺すものは人によって大切なものを奪われる。たとえ聖職者から赦しを得ても、その因果からは逃れられない。このシリーズ、終わってみれば実に無情な物語だ。