海外文学読書録

書評と感想

長谷部安春『みな殺しの拳銃』(1967/日)

★★★

赤沢興業の幹部・黒田竜一(宍戸錠)が、会長(神田隆)の命令で彼の愛人を殺害する。竜一にはクラブを経営する弟・英次(藤竜也)とボクサーをしてる弟・三郎(岡崎二朗)がおり、2人は会長のやり口に反発するのだった。その後、三郎が会長の手下によってボコボコにされ、英次の店も派手に荒らされる。

ジャズがよく似合うハードボイルド映画。最近観た『拳銃は俺のパスポート』に比べるとワンランク落ちるものの、相変わらず宍戸錠が格好良かった。

カット割りが劇画(写実的な漫画)みたいで驚いたのだけど、これは順序が逆で、劇画が映画を参考にしたのだろう。ダイナミックな視点による大胆なカット割り。特に印象的だったのが、男と女が連れ立って歩いているところをロングショットで捉えたシーン。ここは『ルパン三世』【Amazon】のエンディングを彷彿とさせる。ともあれ、劇画と映画、双方が密接な影響関係にあることを確認した。

宍戸錠って見た目は普通のおじさんなのに妙に格好良くて、なぜそう見えるのかといったら声が渋いからだろう。今どきのイケボ(ホストみたいななよなよした声)とは対極にある低音ボイス。個人的に聞いていて気持ちいいのがこういう声で、イケボを聞くとぶん殴りたくなる。そして、彼は終始眉間に皺を寄せている。いつ見ても苦み走った表情をしており、喜怒哀楽をまったく示さない。声と表情によって独特のダンディズムを表現している。

終盤のアクションはよく考えられていて、多勢に無勢を武器の優位で覆している。竜一はライフル銃で遠距離から敵を狙撃、それに対して敵は拳銃しか持ってないから有効な反撃ができない。威力も射程も精度も竜一が勝っている。とはいえ、敵も数の力で竜一を追い詰めていき、最終的には竜一と旧友(二谷英明)の一騎打ちに及ぶ。一連の流れはちゃんと見せ場になっていて感心した。

英次の死に方が『灰とダイヤモンド』からあからさまに借用しているのには面食らった。思わぬサプライズである。また、本作だと女は完全に添え物で、フェミニストが観たら眉をひそめそう。現代だとこういう男臭い映画は作りづらいのではなかろうか。ともあれ、娯楽映画は時代を反映しているから面白い。

難点は俳優たちが小声で喋っているためセリフが聞き取りづらいところ。セリフに合わせてボリュームを上げると今度は音楽がうるさくなる。当時の観客がちゃんと聞き取れていたのか疑問だ。