海外文学読書録

書評と感想

岩井俊二『ラストレター』(2020/日)

★★

裕里(松たか子)の姉が亡くなった。享年44歳。そのことを姉の同級生に伝えようと、姉になりすまして高校の同窓会に出席する。ところが、姉と誤解されまま現場を離れることに。その後、バス停で作家の鏡史郎(福山雅治)に話しかけられる。彼は高校時代、姉に思い寄せていた。裕里は姉になりすましたまま鏡史郎と文通することになる。その後、鏡史郎の手紙が姉の娘・鮎美(広瀬すず)に誤配され……。

つまらない映画だったが、広瀬すずと森七菜が可愛かったので見て損はしなかった。2人のワンピース姿から夏の香りがする。青春の風が吹いている。

基本的に本作は気持ち悪い映画である。40代のおじさんが学生時代の恋を引きずっているのだから。しかも、裕里も姉も既婚者で子供もいるのに、鏡史郎は独り身だった。おまけに、作家といっても本を出したのは一冊きり。普段は塾講師をしている冴えない弱者男性である。見ているほうとしては、昔の女のことは忘れてはよ前に進め、と言いたくなる。

本作のすごいところは、そういう気持ち悪いおじさんを裕里や鮎美が相手にしているところだ。2人とも律儀に文通までしている。今どきの女はこういうおじさんを「キモい」と言って切り捨てるものだが、そこはフィクションなので上手く飛躍しているのだった。KKO(キモくて金のないおっさん)が女性――しかも、片方はJK――に構ってもらえるのだから現実離れしている。腐っても福山雅治なのだなあと思う。

本作は過去と現在の二重構造になっており、裕里と鏡史郎の関係が事後的に明らかになる。高校時代の2人は思ったよりも親密だった。それどころか、裕里は鏡史郎に恋をしていた。彼女は鏡史郎から姉に手紙を渡すよう仲介役を頼まれていたのだが、それを握り潰していたのである。そんなビッグイベントがあったにもかかわらず、25年後の裕里は鏡史郎のことを忘れている。そして、鏡史郎のほうは裕里のことを覚えていた。この非対称な関係がたまらない。鏡史郎が過去を拠り所に生きていたのに対し、二児の母である裕里は現在を生きている。その違いが浮き彫りにされていた。

本作を語るうえで欠かせないのが阿藤(豊川悦司)という怪人物だ。裕里の姉は大学時代に鏡史郎と付き合っていたが、彼のことを捨てて阿藤と駆け落ちしてしまった。率直に言って阿藤はクズである。酒に溺れ、妻子に暴力を振るい、ろくに働いている気配がない。なぜ姉がこんな男に引っ掛かったのか謎だ。鏡史郎と再会した阿藤は彼に対し、俺のおかげで小説が書けただろ、と恩着せがましい態度でいる。阿藤が奇妙なのは、自ら率先して「何者でもないもの」になろうとしたところだ。だからどうにも捉えどころがない。何をして食っているのか分からないし、クズなのに女を切らしていない。こちらの理解を超えた怪人物に仕上がっている。

こういう人物は日本のエンタメでたまに見かける。中村文則の『教団X』【Amazon】とか、平野啓一郎の『空白を満たしなさい』【Amazon】とか。ドラマだと『MIU404』菅田将暉がそうだった。僕の知らないところでそういう流行でもあるのだろうか? 捉えどころのない「悪」を描くみたいな風潮。日本の主流文化に詳しくないのでよく分からない。何となく源流はドストエフスキーにあるような気がする。

鏡史郎の手紙が鮎美に誤配されたとき、僕はわくわくした。手紙が間違った宛先に届き、間違って理解される。これはデリダ的な問題だぞ、と心を踊らせた。誤配から始まった文通はすぐに終わってしまったものの、誤配によって鏡史郎と鮎美に接点ができたことは喜ばしいことだった。これぞ『存在論的、郵便的』【Amazon】である。文通は郵便というシステムを介しているからこそ面白い。誤配によって運命のいたずらが起きるのだから。これがLINEのやりとりだとそうはいかない。