海外文学読書録

書評と感想

ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』(1982/独=ポルトガル=米)

★★★

ポルトガルの海岸で映画監督のフリッツ(パトリック・ボーショー)たちがSF映画の撮影をしている。撮影に必要なフィルムがなくなったので発注しようとするも、プロデューサーのゴードン(アレン・ガーフィールド)は失踪してしまった。おまけに資金も足りない。一行は撮影を中止し、現地でのんびり過ごすことになる。フリッツはゴードンを探しにアメリカへ。

アンチ物語みたいな主張をアンチ物語みたいな手法で表現している。通常の映画だったら開始30分くらいで失踪人探しに動くところだが、本作は開始90分、すなわち残り30分で動いている。それまで何をしていたのかと言えば、撮影クルーのとりとめのない群像劇だ。俳優、脚本家、カメラマン。その人生の断片を覗き見ている。そこに何か一本筋が通っているわけではない。実のところ、開始90分までほとんど物語が動いていないのだ。この構成はもちろん意図的だろう。本作のフリッツはヴィム・ヴェンダースを投影した人物だが、彼にとって映画とは人物と人物の間合いによって出来るものなのである。だから物語が必須なわけではない。物語が必須なのはハリウッドの商業映画だけだ。アンチ物語とはすなわちアンチハリウッドであり、終盤でゴードンとの会話が噛み合わないのも必然である。

「カラーより白黒のほうがリアルだ」という。この感覚が分からない。「自然は光と影にすぎない」という。この感覚も分からない。ただ、一口に白黒と言っても白と黒の間には濃淡があり、陰影が強調されることは確かだ。その陰影の美しさを認めることはやぶさかではない。でも、総じてカラーのほうが見栄えがするのではなかろうか。白黒への偏愛は現代だとレコードへの偏愛に似ている。CDのほうが便利で音質もいいのに敢えてレコードを愛好する。ヴィム・ヴェンダース『まわり道』『アメリカの友人』はカラーで撮っていたが、映像は白黒よりも豊かだった。カラーによる映像技術が成熟した80年代にあって、今更白黒で撮る意味が分からない。

とはいえ、カメラで撮った映像と肉眼で見た映像は違う。カラーだとそれを強く意識する。だったら白黒にしてその違和感を昇華させよう。そういう意味で「カラーより白黒のほうがリアルだ」と言うのなら分からなくもない。カラーというノイズを取り除くことで映像の芯が残る。カメラで撮った映像はどうしたって嘘にならざるを得ない。だったら白黒というフラットな嘘にしよう。そのほうが観客に対して誠実だ。白黒の選択はそういう引き算の発想のような気がする。

印象に残っているシーンは2つ。まずはポルトガルの海岸で子供2人が車内で話をするシーン。前景と背景のバランスが絶妙だった。傾いた車と背後の荒波が噛み合っている。まるで一枚の絵のようだった。続いてはロサンゼルスで車の尾行を巻くシーン。2台の車の動きを俯瞰で撮っている。迷路を進むように車が動いて相手の視線を切っているところが面白い。まるでパックマンを見ているかのようだった。