海外文学読書録

書評と感想

スタンリー・クレイマー『手錠のままの脱獄』(1958/米)

★★★★

囚人護送車が転落事故を起こす。どさくさに紛れて2人の囚人が逃げた。白人のジャクソン(トニー・カーティス)と黒人のカレン(シドニー・ポワチエ)。2人は鎖のついた手錠で繋がれている。当初は反目していた2人だったが、逃避行を続けるうちに関係が変化していく。色々あって母子家庭の家へ。そこにはビリー(ケビン・コフリン)という子供とビリーの母(カーラ・ウィリアムズ)がいて、囚人たちは世話になる。

元の邦題は『手錠のまゝの脱獄』だが(Google 日本語入力でもこのように変換される)、VODでは『手錠のままの脱獄』になっている。

ジャクソンとカレンの会話が良かった。映画の会話はだいたい機能的で、状況の説明だったり心情の吐露だったり役割が明確だけど、本作ではわりとガチな雑談をしている。もちろん、その雑談が2人の関係に何らかの影響を与えていることは否めない。しかし、それにしたって自由度が高すぎる。映画の会話というよりは小説の会話に近いのだ。映画は時間の制約があるからどうしたって機能的な会話になってしまう。そこに自然な会話を組み込んだところが本作の面白さに繋がっている。

男同士の友情が題材の場合、それを妨害する女が出てくるのは定番だろう。本作だとビリーの母がその役割だ。夫に捨てられた彼女は辺鄙な田舎で息子ビリーと二人暮らし。そこにジャクソンとカレンが飛び込んでくる。ビリーの母はジャクソンに惚れるのだった。彼女はジャクソンに2人だけで逃亡しようと持ちかける。彼女がカレンをハブるのは仕方ないにしても、息子を置いて出ていくのは信じられない決断だ。何が彼女をそうさせてるのかといったら、そこには深い絶望があったのである。彼女はまたカレンに対しても凶悪な仕打ちをしていて、この女の性格はとんでもなく歪んでいる。自分の欲望のために人を殺そうとするのだから(白人の彼女にとって黒人は人ではないのだろう)。男同士の友情を確認するためにこういうキャラを出してくるのもなかなかすごい。今だったらフェミニストが文句を言いそうだ。ビリーの母はジャクソンとカレンを引き離そうとする障害であり、ジャクソンはそれを乗り越えてカレンとの友情を最高潮にまで高めている。

黒人差別の描き方については今見ても違和感がないというか、だいぶ自然だった。たとえば、『夜の大捜査線』のようなわざとらしさは微塵もない。また、白人と黒人を手錠で繋ぐことは常識的にあり得ないそうだが、そこを「所長のユーモア」で押し切っている。当初、2人は殺し合うだろうと目されていた。この設定も門外漢からすれば自然だった。

好きなシーン。ジャクソンとビリーの母が車庫で逃げる相談をしていたら、車のガラスにカレンの姿が映り込んだ。2人はカレンの登場に気づかない。しばらくそのまま密談を続けている。このシチュエーションが可笑しかった。