海外文学読書録

書評と感想

ノーマン・ジュイソン『夜の大捜査線』(1967/米)

★★★

ミシシッピ州の田舎町。町の有力者が殺害された。北部から帰省中のヴァージル・ティッブス(シドニー・ポワチエ)が誤認逮捕される。ティッブスはフィラデルフィアで働く殺人課の刑事だった。その才知をギレスピー署長(ロッド・スタイガー)に見込まれティッブスは捜査に協力することになる。ところが、署長を始めとした地元民は黒人のティッブスを差別しており……。

原作はジョン・ボールの同名小説【Amazon】。

黒人差別の描写が振るっている。しかし、今見るとありきたりではないか。本作の歴史的意義は認めるにしても、時計の針は進んで南部への知見が蓄積されているわけで、やはり現代人が見るにはつらい。それを補うためにもミステリ部分で頑張ってほしかったが、ミステリ部分も極めて平凡なのである。良かったのはシドニー・ポワチエロッド・スタイガーの演技くらいで、このおかげで名作の風格を保っていた。

ティッブスのアウェイ感が半端ない。彼はよそ者ゆえに浮いているし、黒人ゆえに軽んじられている。捜査するにあたって二重の枷をはめられているのだ。ティッブスは署長の協力を得るも、2人の関係は一筋縄ではいかない。署長はティッブスのことを差別しているし、無能なくせに思い込みが強く、間違った人物を容疑者にして濡れ衣を着せようとしている。事件が解決すれば犯人など誰でもいいという態度だ。そこへ近代合理主義の精神を持ち込んできたのが黒人のティッブスで、彼はその象徴たるスーツ(地元民から「白人の服」と言われている)を着て事件に臨む。本来だったら白人がするような仕事を黒人がしているわけだ。ここでは黒人のティッブスが文明人として描かれ、白人の地元民が野蛮人として描かれる。アメリカ人の通念とはあべこべになっているところが本作の新しさであり、歴史的に意義があるのだろう。そういう部分の批評性は理解できる。

ティッブスは優秀な刑事であるものの、いわゆる名探偵ではない。だから途中までは間違った人物に目星をつける。しかし、それは証拠から類推できる範囲の合理的な間違いだ。直感で決めつける署長とは正反対である。だから署長と違ってすぐに軌道修正できている。本作はティッブスが名探偵でないところが観客を引っ掛けるミスディレクションになっていて、それまでノーマークだった意外な犯人を最後に引っ張り出している。これはこれでよくあるミステリだけど、問題は真相があまり面白くないところだ。これだったら途中まで目星をつけていた人物を犯人にしたほうが盛り上がっただろう。彼は明らかにラスボス感があったし。とはいえ、アウェイゆえに小さな事件に難儀する、というコンセプトも分からないでもない。ティッブスに立ちはだかる障害はそれだけ半端なかったから。この辺はどうにも隔靴掻痒である。

シドニー・ポワチエの高雅な黒人像。そして、ロッド・スタイガーの卑俗な白人像。どちらも同じくらい良かった。