海外文学読書録

書評と感想

アキ・カウリスマキ『過去のない男』(2002/フィンランド=独=仏)

過去のない男 (字幕版)

過去のない男 (字幕版)

  • マルック・ペルトラ
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★★★

公園のベンチで座っていた男(マルック・ペルトラ)が3人組の強盗に襲われる。男は暴行によるショックで記憶喪失になった。男は病院から抜け出して岸辺に倒れ込み、そこをコンテナの住人に助けられる。港町で生活を立て直す男。男は救世軍の炊き出しでイルマ(カティ・オウティネン)と出会う。男とイルマは仲を深めていくのだった。

記憶を失った男は社会においてイレギュラーな存在だが、彼の生活を救世軍がサポートしてくれるあり、世の中捨てたものではない。というのも、政府機関はまるで役に立たないのだ。職探しに行ったら名前が必要だと門前払いされるし、銀行強盗に巻き込まれた際には警察から不法移民の疑いをかけられ勾留されている(被害者なのに)。社会において名前があることは必須。身元がはっきりしないと公的支援を受けられないし、場合によってはパージされてしまう。しかし、救世軍はそういった人間のことも助けてくれるのだった。炊き出しはしてくれるし、出世払いで服を融通してくれるし、困ったときは弁護士まで用意してくれる。社会のレールから外れた人を民間団体が助けているわけ。日本もだいたい同じ構造で、民間団体が恵まれない人たちをサポートしている。背景には政府による福祉が末端にまで行き届いていない現実がある。こういうのを見ると、我々が税金を払っているのはいったい何のためかと思う。

コンテナの家主ががめつくて最初は嫌な感じだったが、終わってみればこちら側に立っているのだから心憎い。家主は警備員の仕事をしており、恰幅がいい。彼はハンニバルという犬を飼っている。もし男が家賃を払わなければ、ハンニバルに鼻を噛みちぎらせるという。話を聞く限り、ハンニバルは獰猛な大型犬のようだった。しかし、実際に姿を見せるとチャーミングな中型犬である。ドーベルマンのようないかつさはない。むしろ、けしかけられても人を噛まないように見える。このように動物を使ったユーモアが微笑ましい。おかげで家主の好感度が上がっている。

記憶を失って新天地で人生をやり直すのは大変だが、本作の場合は悲壮感がない。粛々と前に進んでいる。男はイルマと恋仲にまでなるのだった。その後、男の身元が判明する。男には妻がいた。ここで深刻な葛藤――イルマを取るか妻を取るか――を予感したが、男の過去はそう上手くいってなかったようである。だからあっさり清算して港町に戻っている。ここら辺は運がいい。選択に悩まずに済んでいる。記憶を失ってもなお居場所ができたから、ちゃんと過去を捨てられているのだ。災い転じて福となす。こういうところは現代のおとぎ話だった。

終盤。電車の中で日本の歌謡曲が流れ、寿司と日本食が出てくる。これはどういうことだろう? あと、男が救世軍のバンドにロックを教えるところが良かった。今でこそロックはヒップホップに駆逐されたが、世界共通語であることに変わりない。