海外文学読書録

書評と感想

角地拓大『くノ一ツバキの胸の内』(2022)

★★★★

「あかね組」と呼ばれるくノ一の里は男子禁制だった。そこでは少女たちが集団生活をして学業や忍術修行に励んでいる。少女たちは男を見たことがなく、先生からは男を恐れるよう教育されていた。戌班の班長ツバキ(夏吉ゆうこ)はまだ見ぬ男に恋い焦がれており……。

原作は山本崇一朗の同名漫画【Amazon】。

全13話。

よくある美少女動物園アニメである。ただ、今までの同ジャンルと違うのは、作中に男を排除する論理を意図的に取り込んでいるところだ。男を未知なる存在として外部化し、その外部を意識させることで美少女動物園の特異性を浮き彫りにしている。このアニメにおいて、あかね組は自然発生的に形成された空間ではない。男を意図的に排除して成り立つ人工の楽園だった。成立事情としては女子校に近く、里での掛け合いもほとんど女子校のノリみたいになっている。

女子校と違うのは少女たちが男を見たことがなく、伝聞でしかその情報を知らされていないところだ。おまけに「男は危険な生き物のため、交流することを禁ず」と接触を禁じられている。彼女たちは限られた情報から男を空想するしかなく、その像は誇張され不正確だ。しかし、そのことによって少女たちは純粋培養され、楽園を楽園足らしめている。無垢で善良なくノ一たち。彼女たちは男を知らないがゆえに無垢でいられる。本作は美少女動物園を楽園と規定し、その楽園が男の排除によって成り立つことをメタ的に示したところが新しい。

美少女動物園の本質は、異性愛から切り離された永遠のモラトリアムである。永遠のモラトリアムとはすなわち「終わらない日常」であり、それは日常に異物が混入しない限り延々と続く。視聴者は少女たちがキャッキャウフフするのをだらだら眺めたい。男の乱入によって無垢の楽園を汚されたくない。少女たちに触れていい男は視聴者である自分だけであり、アニメを見る我々の覗き見的な視線が、「萌え」の感情を伴って作中に乱反射している。この楽園が終わりを迎えるとしたら、少女たちが男と「未知との遭遇」を果たしたときだろう。それは異性愛への入口であり、同時にイノセンスの喪失を意味する。男との接触によって止まった時間が前に進む。美少女動物園にとって男がどれだけ邪魔な存在であるかが窺える。

個別のエピソードでもっとも面白かったのが第9話だ。Aパートでは蛇を男に見立てて大騒ぎしている。この蛇はもちろん男根のメタファーであり、様々なアングルから少女たちを翻弄するのだった。また、Bパートではタンポポ井上ほの花)とアザミ(朝井彩加)のコギャルコンビが登場。2人揃ってギャル語を自在に使いこなしている。この部分はとりわけCパートの会話劇が芸術的で、個人的には何度も見返したほどだった。流れるようなギャル語の応酬が素晴らしい。声優の力は偉大だと思う。