海外文学読書録

書評と感想

ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q―カルテ番号64―』(2010)

★★★★

コペンハーゲン警察。カール・マーク警部補たちが失踪した娼館のマダムの事件を追っていると、同時期に4人失踪していることが判明する。彼らを糸口にして優生思想の政党党首クアト・ヴァズにたどり着く。一方、未亡人のニーデ・ローセンはかつてクアト・ヴァズによって強制的に不妊手術されており、関係者たちに復讐しようとしていた。それは1987年のことで……。

カールの視線は夫人にぴたりと注がれていた。「結社ってなんのことです?」カールは訊いた。「警察の調書には結社のことなど何も書かれていませんが」

「ええ、わたしもいっさいそのことには触れませんでしたから」

「では、もう少し詳しくお話しいただけませんか?」

「〝密かなる闘争〟という結社です」

アサドはポケットからメモ帳を取りだした。

「〝密かなる闘争〟。美しい名前ですね。何だかシャーロック・ホームズのシリーズに出てきそうだ」カールは微笑みながら答えたが、心の中では正反対の感情が呼び覚まされていた。「で、それはなんなんです、〝密かなる闘争〟とは?」(pp.256-257)

『特捜部Q―Pからのメッセージ―』の続編。

優生思想を題材にしていて面白かった。政党党首のクアト・ヴァズは医師でもあり、生きるに値する胎児と値しない胎児を選別している。日本では1996年まで優生保護法によって障害者が強制的に不妊手術されていた。それはデンマークでも同様だったらしい。不良少女や知的障害者を島に集めて強制的に不妊手術していたという事実があり、本作はそれを元にストーリーを練り上げている。ナチスという反面教師がありながらそれが生かされなかったあたり、戦後の民主主義社会も明るくなかったようだ。

クアト・ヴァズはヨーゼフ・メンゲレの生まれ変わりのような男である。生きるに値しない命を中絶したり、不良な母体を不妊手術したり、やっていることは「悪」そのものだ。しかし、本人はそれが正しいと思ってやっている。デンマーク社会を正常なものにしようという信念がそうさせているのだ。しかも、それは彼個人だけではなく組織的に行われている。表では政党を結成し、裏では暴力的なネットワークを駆使して優生主義の社会を作ろうとしている。こういった「巨悪」がラスボスとして屹立しているところが本作の肝で、いかにしてその罪を償わせるかが焦点になっている。

一方、本作では80年代の出来事も平行して語られている。未亡人のニーデ・ローセンはかつてクアト・ヴァズによって強制的に不妊手術されていた。その彼女が関係者たちに復讐しようとする。ニーデはいかにして完全犯罪を達成するのか。また、彼女はなぜクアトを取り逃したのか。そして、2010年現在まで生きているニーデはなぜクアトをそのままにしておくのか。このパートもけっこうなサスペンスがあり、けっこうな大仕掛けがある。シリーズにしては珍しいトリッキーな展開が面白かった。

シリーズものとしては「ステープル釘打機事件」に新事実が浮上。誰かがカールを陥れようと工作している。アサドの陰の部分も存在感が増し、また、ローセが四人姉妹であることも判明した。プライベートではカールとヴィガの離婚手続きが進行している。シリーズは全10作で完結する予定らしい。早く続きが読みたくなった。