海外文学読書録

書評と感想

真鍋昌平『闇金ウシジマくん』(2004-2019)

★★★★

カウカウファイナンスは10日5割(トゴ)の暴利で金を貸す闇金業者。経営者は丑嶋という厳つい若者で、社員に中学時代からの知り合い柄崎、同じく中学時代からの知り合い加納を抱えていた。そこに元ホストの高田が入社してくる。

全46巻。

時代を鮮やかに切り取っていて面白かった。連載初期から闇金は下り坂。債務者は弁護士に泣きつき、最初から借金を踏み倒す気で来客するものもいる。おまけに警察の目をかい潜らなければならないうえ、ケツモチのやくざが何かと金品を要求してくるのだった。闇金業者にとっては厳しい時代である。本作はそんな生き馬の目を抜く世界に照準を定め、主に借金生活にどっぷり浸かる債務者たちを描いていく。

本作のすごいところは登場人物のディテールだ。「こういうクズ実際にいそう」と思わせる人物が多種多様な形でこれでもかと出てくる。借金をする人間はだいたいギャンブルにはまっている。また、男も女も歳をとったら未来を切り拓けないと焦っている。そして、みんな一様に孤独だった。心の隙間を埋めるために金を必要としているのである。そんな餓鬼たちが織りなすドラマはどれも叙情的で、一部は文学の域に達しているものもある(「ゲイくん」編なんかはまさにそう)。本作は人間が堕落していく様を冷酷に描いているため、連続して読むと精神が疲弊する。その一方、切羽詰まった人間が袋小路に入り込んでいく様がスリリングで病みつきになる。人間の業を嫌というほど感じさせる漫画だった。

ゼロ年代テン年代の漫画は新自由主義と否応なく向き合っているところがある。たとえば『進撃の巨人』がそうだったし、『鬼滅の刃』もそうだった。新自由主義の根幹にある「我欲」。それに対して我々はどういう態度で臨むべきなのか。

本作において「金は力」と規定され、金を巡る弱肉強食の世界が描かれている。弱者は放っておいても誰かに奪われる。だったら自分が奪うべきではないか。丑嶋はそう決意して闇金業を営んでいる。しかし、丑嶋だって奪う一方ではない。ケツモチのやくざに何かと金を無心され、不本意にも奪われる側に立たされている。結局のところ、この世界はサバンナのような食物連鎖で成り立っているのだ。弱いものは強いものに奪われ、その強いものはより強いものに奪われる。ピラミッドの底辺から頂点へと順番に吸い上げられていくイメージ。丑嶋は半グレだから法律は守ってくれない。かといって裏社会の人間も敵だから油断ならない。こういった綱渡り的な状況が終盤になってクローズアップされる。

債務者を主人公にしたエピソードはどれもひりつくような痛みを感じさせて文句なしの面白さだった。ところが終盤、やくざとの抗争にシフトしてからは間延びしていて「これじゃない感」が強かった(とはいえ、これはこれで一定の面白さはある)。超然としたダークヒーローの丑嶋は、狂言回しの立場なら圧倒的絶望の化身として紙面に映える。しかし、主人公に回るとリアリティラインの低さが表面化し、掴みどころのない人物像だけが印象に残ってしまう。債務者もやくざも欲望の在り処が明確だから分かりやすい。一方、丑嶋はたくさん金を貯め込んでいったい何をしたいのか分からない。ただ作者が丑嶋のことを格好良く描こうとしているのが伝わってくるのみである。

丑嶋の同級生・竹本は『カラマーゾフの兄弟』【Amazon】に出てくるアリョーシャみたいな人物で、丑嶋の対極に立っている。竹本は丑嶋の生き方を相対化する役割だったものの、いまいち目的を果たせていなくて残念だった。