海外文学読書録

書評と感想

フリッツ・ラング『死刑執行人もまた死す』(1943/米)

死刑執行人もまた死す(字幕版)

死刑執行人もまた死す(字幕版)

  • ブライアン・ドンレヴィ
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★★★

ドイツ占領下のプラハ。死刑執行人と呼ばれるナチスの副総統が何者かに暗殺された。実行犯のスヴォボダ(ブライアン・ドンレヴィ)は偶然出会ったマーシャ(アンナ・リー)のアパートを訪れ、一家に一晩匿われる。一方、ゲシュタポは対抗措置として無実の市民たちを逮捕・勾留するのだった。マーシャの父・ノヴォトニー教授(ウォルター・ブレナン)もゲシュタポに連行される。

前年に起きたハイドリヒ暗殺作戦(エンスラポイド作戦)を題材にしている。

気の利いたショットが散見されて眼福ではあったけれど、ストーリーはいささか出来すぎだった。あんな手際よく「でっち上げ」ができるかなあ、と。しかし、本作はプロパガンダ映画の側面もあるので、実行犯の救済と裏切り者への復讐を両立させる必要があった。多少のご都合主義は仕方がないのだろう。また、市民たちが処刑されるラストはほろ苦く、安易なハッピーエンドに転んでいないところは評価できる。

本作で描かれているのは、戦時中において我々は功利主義と義務論のどちらを取るべきかということだ。ゲシュタポは暗殺の実行犯を血まなこになって探している。そのために無実の市民たちを逮捕・勾留し、実行犯が自首しなければ皆殺しにすると布告した。功利主義の立場なら実行犯は自首すべきだろう。そうすれば一人の犠牲で多数の市民が助かる。それに対し、義務論の立場では実行犯を匿うことが推奨される。彼は敵の高官を暗殺した英雄であり、脅迫に屈して仲間を売るわけにはいかない。市民は仲間のために命を投げ出す義務がある。一人を救うか、多数を救うか。レジスタンスの面々はトロッコ問題のようなジレンマに置かれている。

本作では義務論の立場を取っているのだから驚く。市民が何人処刑されても実行犯を匿うことにしたのだ。平和ボケした僕からしたら信じ難い決断だけど、どうやら戦時中はこれが倫理的だったらしい。何があろうとも「悪」の脅迫には屈しない。思えば、21世紀に行われた「テロとの戦い」のときも似たようなことがあった。そう、我々は「テロには屈しない」を名目にして人質の命を見捨ててきたのだ。しかし、民主主義社会においてはそれが正しい判断なのである。共同体の尊厳を守るために命を懸ける。僕自身はそういう覚悟がなかったので本作を観てびびってしまった。

ドアの陰に身を隠した実行犯と彼を追いかけるゲシュタポたちを一つのフレームに入れたショット。婦人が映った水たまりから婦人本体にパンするショット。地下室に入ってきた拷問者をその影だけで表現するショット。こういうところは昔の映画らしいセンスで面白かった。また、「心の炎を燃やせ!」がレジスタンスのスローガンになっていて、『鬼滅の刃』の煉獄さんはこれを参考にしたのかと思った。