海外文学読書録

書評と感想

エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』(2008)

★★★★

連作短編集。「薬局」、「上げ潮」、「ピアノ弾き」、「小さな破裂」、「飢える」、「別の道」、「冬のコンサート」、「チューリップ」、「旅のバスケット」、「瓶の中の船」、「セキュリティ」、「犯人」、「川」の13編。

オリーヴは図体が大きい。そういう自意識もある。ただ、もともと大きいのではなく、大きくなったのであって、いまだに馴染みきれないところはある。たしかに昔から背は高いほうで、間の悪い思いをすることも多かったのだが、こんなに大型化したのは年をとってからだ。足首がふくらんで、肩が盛り上がって、手首から先は男の手のようになった。もちろん気になる。ならないわけはない。ひそかに悩むこともある。だが、この期に及んで、食べる楽しみを我慢しようとは思わない。だから、いまのオリーヴは、繃帯でぐるぐる巻きの大アザラシが昼寝しているようなものだろう。(p.91)

ピュリッツァー賞受賞作。

以下、各短編について。

「薬局」。薬局を営むヘンリー・キタリッジには妻のオリーヴと息子のクリストファーがいた。ある日、ヘンリーはデニース・ティボドーという若い女店員を雇う。デニースは店員としてなかなか優秀だった。ヘンリー・キタリッジの人の良さに温かみを感じる反面、オリーヴ・キタリッジのちょっとKYな発言に苦笑してしまう。葬式のときとか、猫を轢いたときとか、夫に窘められるのも無理はないって感じ。女というものを的確に描いていると思う。それにしても、ヘンリーが教会での集まりに心の救いを求めていたのは不思議な気分だった。彼は敬虔なプロテスタントである。だから当然と言えば当然なのだけど、日本に住む僕にとっては、宗教が身近にないのでいまいち実感が沸かないのだった。ヘンリーは古き良きアメリカ人と言えよう。

「上げ潮」。医学部で学位を取ったケヴィンが久しぶりに故郷に帰ってくる。町の様子を窺っていると、恩師であるオリーヴ・キタリッジと出くわした。2人で話し込む。オリーヴの人柄が明るみに出るところも面白いのだけど、何よりすごいのが短編の締め方だった。それまで散々「死」について語っておきながら、ああいう「生」への執着を描くところに上手さがある。この締め方は予想外だった。

「ピアノ弾き」。ピアノ弾きのアンジェラが、昔付き合っていたサイモンから思わぬ事実を告げられる。どんな人間でも傷ひとつない人生を送ることは不可能なので、何をもって悲惨とするかは難しいところだけど、アンジェラはなかなかハードな状況にあると思う。でも、生まれてしまった以上、雑草みたいに生きていくしかないのだ。そして、この短編はキタリッジ夫妻のさりげない登場もいい。しゃしゃらずともしっかり存在感を出している。

「小さな破裂」。38歳になったクリストファー・キタリッジが結婚式を挙げる。クリストファーは足の医者で、お相手は医学博士だった。母親のオリーヴ・キタリッジは参列者の輪を抜けて息子の寝室に入る。オリーヴがまた毒気の強い性格をしていて驚いた。同居してたら嫁姑問題で揉めそう。年の功で人生の機微を弁えているから、嫁に対する仕打ちも後々効果が出てくるのだろう。「小さな破裂」を起こすための爆弾を仕掛けたのだ。まったくもって油断ならない。

「飢える」。妻子持ちのハーモンには4人の子供がいたが、いずれも巣立っていた。そんな彼が未亡人のデイジーに惹かれる。また、ニーナという若い女は拒食症だった。ハーモンにとって決定打になったのが、妻から夜の営みを拒否されたことで、ここからセックスフレンドなるものに関心を持つようになる。結局のところ、愛とセックスは切り離せないのだろう。セックスの切れ目が愛の切れ目なのだ。そういう点ではハーモンも飢えていて、そんな飢えを満たしてくれるのがデイジーだった。

「別の道」。夜間。キタリッジ夫妻が車で帰宅の途についていると、突然、オリーヴが便意を催した。夫のヘンリーが病院に車を向ける。そして、オリーヴが医師の診察を受けることになるが……。この短編集はたまに予測もつかない事件をぶっ込んでくるから油断できない。しかも、本作の場合はその事件の最中に夫妻が余計なことを口走ってしまう。それが事件よりも重要なのだった。それにしても、オリーヴって「頭がいい」という理由で姑から疎まれたのに、息子の嫁に対しても同じ理由で嫌っているところが面白い。歴史は繰り返すというか。

「冬のコンサート」。夫のボブと妻のジェーンがクラシック・コンサートへ。過ぎゆく時間を「賜物」と捉えていて、何てポジティブな人たちなんだと思っていたら、夫婦である秘密を乗り越えていく展開に……。僕だったらこういうのは知らないままで済ませたいけれど、人生の終幕が見えてくると、不都合な事実が明るみになっても二人三脚を続けるしかない。これはきっといいことなのだろう。

「チューリップ」。息子夫婦がカリフォリニアに移住してお冠のオリーヴ・キタリッジ。ある日、夫のヘンリーが倒れてしまった。オリーヴは近所のルイーズ・ラーキンのところへ話に行く。つらい思いをした人間が、同じくつらい思いをした人間に会いに行くのって二通りの理由があると思う。一つは「この人と同じ目に遭ってるんだ」と共感すること。もう一つは「この人よりはマシなんだ」と安心すること。ルイーズはオリーヴが後者の目的で来たのを見抜いていた。この短編は他に、息子の嫁がオリーヴに負けず劣らず毒気の強い性格であることを明かしていて、連作としてはそこが面白い。

「旅のバスケット」。食品屋の女房マーリーンが夫を亡くして葬式をする。それに参列するオリーヴ・キタリッジ。マーリーンは夫の秘密をある女から知らされ……。これはすべてが喪の儀式なのだろう。葬式はもちろんこと、ケリーの首にナイフを当てたり、旅のバスケットを処分したり。悪態を尽き、思い出の品を処分しながら死を乗り越えていく。ところで、この短編集はオリーヴが教師という設定が面白くて、町の住民には教え子が多い。だから生活に介入すると特別なポジションになる。この関わり方が物語をぐっと引き立てていた。

「瓶の中の船」。ハーウッド家の娘の結婚が破談になる。父は船を作る。オリーヴ・キタリッジが言った「飢え」とは欲望のことで、これはジュリーの欲望を肯定しているのだろう。肉欲だって飢えの産物には違いない。両親が再婚ゆえに結婚式を挙げてないというのも、カトリック的な正道を歩む必要がない、すなわち自分たちも結婚式を挙げる必要がないことを示している。瓶の中の船とは違い、人間はいつでも外に出られるのだ。

「セキュリティ」。オリーヴ・キタリッジの息子クリストファーが、再婚してニューヨークに引っ越した。オリーヴは息子からこちらに来るよう頼まれる。母親と娘は歳をとると分かり会えるけれど、母親と息子は永遠に分かり会えないのだろう。今回、息子から歩み寄っても駄目だった。そういったフラストレーションがラスト、空港のセキュリティで爆発するところがいい。ところで、クリストファーの再婚相手が大柄なのって、母親の面影を追ってのことだろうか。前妻もそんな感じだったので面白い。

「犯人」。レベッカ・ブラウンはしゃべりたがりの性分で、コールセンターの女性や就職の面接官に余計なことを口走っている。最近、窃盗癖が出てきて……。レベッカはおそらく精神疾患で、原因は両親の離婚とその後の抑圧にありそう。「変わり者」の範疇からはみ出している。そして、先行きも不穏だ。これは偏見だけど、アメリカの場合、人間が壊れるのには大抵宗教が絡んでいる。カトリックにせよ、サイエントロジーにせよ。

「川」。ハーバード大卒のジャック・ケニソンが妻を亡くした。そんな彼が、寡婦のオリーヴ・キタリッジと親密になる。愛とは何かと言ったら、「この人と寄り添いたい」という純粋な好感であり、若い頃は性欲で隠蔽されていたものが、74歳になって剥き出しになる。夾雑物が排除されたのだ。オリーヴ・キタリッジはまだまだ健在で、人生はこれからも続く。

 

以下、本書の続編。

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