海外文学読書録

書評と感想

ジェイン・オースティン『エマ』(1815)

★★★

ロンドン近郊のサリー州ハイベリー村。大地主の娘エマ・ウッドハウスは21歳独身、父親と2人暮らしで屋敷を切り盛りしていた。そんな彼女は縁結びが趣味で、私生児ハリエットと若き牧師エルトンをくっつけようとする。ハリエットには農夫マーティンという想い人がいたが、エマは親戚ナイトリーの助言を無視して2人の仲を裂いてしまう。エマの思惑通り、ハリエットはエルトンに惚れるが……。

エマ・ウッドハウスは美人で、頭が良くて、お金持ちで、明るい性格と温かい家庭にも恵まれ、この世の幸せを一身に集めたような女性だった。もうすぐ二十一歳になるが、人生の悲しみや苦しみをほとんど知らずに生きてきた。(p.7)

技術的には現代のエンタメ小説のほうが上だけど、それよりも当時の価値観がダイレクトに反映されているところが面白く、古典を読む醍醐味を味わった。エマは優秀な頭脳の持ち主とはいえ、それでも階級意識が抜けきれない。血筋や財産が人格よりも重視されており、たとえば、「商人の娘と地主の結婚はNGだけど、相手が農夫だったら釣り合いがとれる」みたいな身も蓋もない価値観を披露している。エマの現実的な結婚観は、自由恋愛に慣れた現代人が読むとなかなかきつい。これが19世紀イギリスの階級社会なのか、と時代の重みを突きつけられる。

他人の恋路に容喙するエマは明確に間違った人間である。しかし、そういう間違った人間を主人公にしているのが本作の面白いところだ。彼女の欠点は、「何でも自分の思いどおりにできること」と「自分を過大評価しすぎること」で、その結果、幾度となく判断を誤っている。聡明なエマは他人の性格や内面を分析するものの、それらは人生の先達たるナイトリーとことごとく対立する。2人は激しく口論し、後にナイトリーのほうが正しかったと証明される。エマの勘違いが時に滑稽な状況を生んでいて、そこが物語の面白味に繋がっている。

エルトンがエマに求愛する第十五章はまさに間違いの喜劇で、2人が言い争いをする場面は『高慢と偏見』の第十九章を彷彿とさせる。エマはハリエットとエルトンを結婚させようとしていたわけだから、突然の告白は青天の霹靂だったのだ。エマとエルトンの勘違いが互いに勘違いとして認知され、段々と真実に向かって照準が合っていくところが最高である。こういうボタンの掛け違いこそが喜劇の真骨頂だろう。

また、エマとフランクの関係も絶妙だ。エマはフランクが自分にやさしくしてくることから、彼が自分に惚れているのだと推察する。このとき、エマはハリエットとフランクを結びつけたかったから、どうしてもフランクから求愛されたくない。それどころか、自分がフランクに惹かれていることに気づいてしまい、これではいけないと気を引き締めている。後に事の真相が手紙で明かされるのだけど、これがまた人を食っていて面白かった。結果的にエマが敗北を喫しているのだから苦笑してまう。この小説、やはり間違った人間を主人公にしているところが好ましい。

喜劇にはこじれた関係を正しい関係に修復しようという無形の圧力があり、そこは本作も喜劇の王道に即していた。主要人物の誰もがあぶれることなく幸福な結末を迎えている。混乱していた物事が収まるべきところに収まる。読んでいて気持ちのいいエンタメだった。