★★★
連作短編集。「宇宙にさからう時」、「最大のファン」、「全身写真」、「そんなことなら」、「わたしの嫌いなあの子」、「それって欲張り」、「母にとってのセクシーな人」、「Fit4U」、「あの子はなんでもしてくれる」、「ファン・ファステンバーグとわたし」、「カリビアン・セラピー」、「アディション・エル」、「海のむこう」の13編。
宇宙はわたしたちに冷たい。理由はわかっている。だからマックフルーリーのおかわりを買って、しばらく自分たちがどれだけ太っているか話し合う。もちろんいくら議論しても、たとえ何度メルが自分なんて脱いだらばかでかいクジラだよと力説しても、知っている。太さで勝つのはわたしのほうだ。しかもかなりの差で。メルはお尻が大きい。それは認める。でもうなずいていられるのはそこまでだ。(p.10)
以下、各短編について。
「宇宙にさからう時」。晴れた午後。エリザベスとメルがマクドナルドで雑談していると、近くに3人組のビジネスマンが。メルが彼らにアプローチをかけようとする。若者らしい自意識過剰ぶりがすごかった。見知らぬ人が自分に関心を抱いていると思い込むのは誰もが通る道だろう。本作はその心性をポップな語りで表現していて面白い。あと、欧米人ってADHDが多いと思う。本作のメルなんて衝動的かつ多動的ではなかろうか。普通はあんな思いつきを軽く実行したりしないので……。
「最大のファン」。ミュージシャンのロブがおでぶちゃんの家に行く。おでぶちゃんはロブのファンだった。ところが……。真相がなかなか残酷で、信仰心を独占できていなかったという事実はダメージが大きい。これは近年の推し文化に通じるものがある。すなわち、単推しかDD(誰でも大好き)か。ミュージシャンとしては単推しであってほしいわけだ。
「全身写真」。エリザベスがネット恋愛している彼氏に全身写真を送ることになった。この短編、チャイナにストーカーするステッペンウルフ男とか、母親の恋愛問題とか、リジーのネット彼氏が元俳優で現在は全身麻痺とか、短かい中に色々なネタが詰まっていた。ところで、肥満女性を主人公にした小説ってあまり見かけない。そもそも日本に住んでいると肥満女性もあまり見かけない。エリザベスは自分の体型を嫌っているものの、だからといって痩せる気もなく、その辺の心理がよく分からなかった。あと、チャイナが施した「スモーキーなメイク」とやらは今流行りのエンパワーメントなのだろうか。母親に「まるで殴られたあとみたい」と言われたのは可笑しかった。
「そんなことなら」。エリザベスがバイト先の同僚アーチボルドと体の関係になる。ところが、アーチボルドには恋人ブリッタがいて彼女が乗り込んでくるのだった。アーチボルドが屈託のない態度でエリザベスを性的対象にしたのに驚いたのだけど、後で登場したブリッタの体型を知って納得。彼はデブ専だったのだ。需要と供給はしっかりマッチするのだなあと感心した。そしてラスト、病院の待合室でよそよそしく会話するエリザベスとブリッタには哀愁があった。
「わたしの嫌いなあの子」。エリザベスの同僚兼友達はクソ女だった。節制してるエリザベスを食事に誘ってはなぜサラダを食べるのか聞いてくる。そのクソ女はエリザベスと違って痩せていた。女同士の機微が分からないのだけど、やはり優越感を満たすためにそういうことを言ってるのだろうか。でも、大抵の人には「太ってる人間にはたくさん食って欲しい」という願望があるから、その表れかもしれない。真相は藪の中だ。ともあれ、ポイントは嫌ってるくせに友達であるところで、この辺に女同士の複雑さがある。ところで、節制してるエリザベスに対し、メルが「そのままで愛されるべき」と言ってるのには痺れた。某ディズニー映画【Amazon】に出てきた「ありのままで~」というやつだろう。美容業界の圧力、引いては資本主義の圧力に屈しない姿勢がいい。
「それって欲張り」。エリザベスが服飾店の店員に服を合わせてもらう。エリザベスは店員のアドバイスに欺瞞を感じて内心では不満たらたらだけど、接客業というのはそういうものだから仕方がない。店員も欺瞞に欺瞞を重ねているうちに何が本質なのか見失ってしまったのだろう。資本主義の奴隷。むしろ、エリザベスは店員を憐れむべきだ。
「母にとってのセクシーな人」。エリザベスと母が会食に行く。ここまで読んで思ったけれど、固有名詞が大量に出現する語りはポップな雰囲気を醸し出す反面、資本主義の窮屈さも感じられてなかなかつらいところがある。音楽にせよファッションにせよ、我々は資本主義の作り出した商品から逃れられない。それはつまり、我々の生活が欧米の価値観に支配されていることを意味する。果たしてこれでいいのだろうか?
「Fit4U」。亡くなった母がクリーニング店に預けていたワンピース。エリザベスがそれを引き取る。母と娘の関係は父と息子の関係とは違い、おそらく似姿に近いものがあるのだろう。父と息子の関係はどうしてもよそよそしくなってしまうけれど、母と娘の関係は晩年まで親密だ。息子が父を超える必要があるのに対し、娘はそんなことをする必要がないから。僕は時々、母と娘の関係が羨ましく思う。
「あの子はなんでもしてくれる」。ディッキーがファットガールとのガストロ・セックスについて語る。それをうんざりしながら聞いていたトムは妻エリザベスが待つ自宅に帰る。エリザベスが痩せていて驚いた。確かにその背景には夫のさりげない態度や何気ない視線が影響したのかもしれない。しかし、肥満は美醜の問題のほかに健康の問題にも関わるので、結果としては痩せて良かったのではないか。連作ではもっぱら前者にだけ触れていて、後者はなかったことにされてるけど。
「ファン・ファステンバーグとわたし」。エリザベスが服飾店でファン・ファステンバーグのドレスを試着する。店員からはファットガールにそれは無理と思われてるような気がする。女性が痩せるメリットは可愛い服が着られることで、ファン・ファステンバーグのドレスはその象徴なのだろう。プラスサイズの服は往々にしてダサい。美しく着飾ることが女性の証とされているのは何とも窮屈なことである。
「カリビアン・セラピー」。エリザベスがハンドトリートメントの施術を受ける。いつも通り相手は肥満女性キャシーを指名した。無理して痩せたエリザベスよりも、ありのままの姿で生きているキャシーのほうが幸せそうという図式。キャシーは太ったままでも夫に愛されている。一方、エリザベスにとって痩せる意味とは何だったのか。というのも、エリザベスの夫はデブ専で今でもこっそり若いファットガールの動画を見ているのだから。夫に愛されるだけなら痩せる必要はなかった。エリザベスの境遇はどこか物寂しい。
「アディション・エル」。痩せたエリザベスがプラスサイズの服を試着する。この連作で面白いのは肥満がファッションと結びついてるところだ。僕は標準体型だけどファッションには興味がなくて、だいたいはユニクロで済ませている。そんな僕にとってエリザベスがファッションを気にするのが不思議でならない。これはジェンダーの問題だろうか?
「海のむこう」。フィットネスセンターの器具を巡ってちょっとした言い合いになる。最終話だけあって黄昏れている。中盤まで目立っていたポップさもだいぶ抑え気味だ。思えばこの連作、肥満大国ならではのテーマ設定だった。