海外文学読書録

書評と感想

2021年に読んだ374冊から星5の15冊を紹介

このブログでは原則的に海外文学しか扱ってないが、実は日本文学やノンフィクションも陰でそこそこ読んでおり、それらを読書メーターに登録している。 今回、2021年に読んだすべての本から、最高点(星5)を付けた本をピックアップすることにした。読書の参考にしてもらえれば幸いである。

評価の目安は以下の通り。

  • ★★★★★---超面白い
  • ★★★★---面白い
  • ★★★---普通
  • ★★---厳しい
  • ★---超厳しい

 

光文社古典新訳文庫を立ち上げた編集者・駒井稔が、同文庫の訳者たちにインタビューしている。元は紀伊國屋書店で行われたイベント。全14章。

以下、本書に登場した訳者たち。

どうにもいけ好かないタイトルだが、中身は良かった。「100分de名著」を複数回見たくらいの濃密さで、作品を読み解く手引になる。各章は時代背景や文学的意義の説明だけでなく、翻訳におけるこだわりなども述べている。

個人的にもっとも参考になったのがロブ=グリエ『消しゴム』の章で、ここでは訳者の中条省平が、ロブ=グリエの問題意識を分かりやすく解説している。

ロブ=グリエに先行するカミュサルトルは人間中心主義の価値観だった。ところが、その後に出てきた構造主義ヌーヴォー・ロマンは、人間中心主義から脱却した正反対の価値観を打ち出している。そしてそれゆえに、ロブ=グリエの小説は意味づけを拒むような難解な作風になっているのだ。

それで、なぜロブ=グリエが映画を撮り始めたかというと、映画というのは意味づけをしなくても済む。つまり、カメラを向けただけで世界が映っちゃう。ところが、小説の場合はなぜそういう世界を描いたかと意味づけしなければならない。そういう意味づけ自体が、既に人間中心主義だとロブ=グリエは考えるんです。だから、そういうのはやめようと。

そういうことをやめると『嫉妬』になっちゃうわけです。つまり、一人の男が自分の女房が浮気しているんじゃないかと思って、ブラインドの陰から、ずっと見ていて、ああでもないこうでもないと、延々と言い続ける。普通、人間中心主義的に考えれば、女房が浮気していて、亭主が怒るという話になって、喧嘩が起こったりします。これが従来の小説だとすると、ロブ=グリエの場合は、その女房が浮気しているかどうかなんて、表面的にはわからない。だからひたすら見続ける。世界に嫉妬という人間的な概念を導入して、理解した気になってはいけないというのが、ロブ=グリエの考え方なんです。(pp.77-78)

さらに、ロブ=グリエバルザックを否定したかった。

つまり、バルザックは、世界を描いているように見えるけれども、情念とか感情とか、そういうもののドラマとして世界を描いていると言うわけです。でも、現代人がバルザック的な情熱とか、情念を持てるかと、彼は考える。嫉妬するにしろ、お金が欲しいにしろ、あるいは女に狂うとか、ごく当たり前の人間的な情熱にしろ、それをあたかも素晴らしい人間的な価値であるかのように書いちゃうバルザックの小説は嘘だと言うわけです。人間はもっと平板な世界をみみっちく生きていて、なぜその真実に近づかないんだと言った。(pp.79-80)

この先駆者として中条はカフカの名前を挙げている。門外漢としては腑に落ちる解説だった。

それと、ナボコフの小説を訳した貝塚哉が、「小説は物語じゃない」と言い切っているのも痛快だった。

小説には言葉しかない。それを逆手に取って、言葉の面白さで小説を作っていけば、小説は映画を負けずに売れるんですね。ストーリーだけで勝負しようと思ったら、負けてしまいます。なので、二十世紀の心ある作家たちは、そのことをすごく意識した。いかに言葉自体を面白くするかということにこだわったわけです。(p.398)

こういう態度が読書界のデフォルトになればいいと思う。最近は猫も杓子も物語を求めすぎなので。

 

上下巻。

古代ペルシアの時代から9.11後の現代まで幅広く扱っている。

本書を読んで分かるのは、人類の歴史が欲望の歴史であることだ。人々が移動したり交易したりするのは、富を求めることに原因がある。古代ローマも十字軍も、東にある富を求めて戦争してきた。そして、戦争によって異なる文化の輸出入が促進されている。現代人からすると違和感があるかもしれないが、実際のところ、戦争が人類の発展に貢献してきたのだ。さらに、宗教がどのように伝播していったのかも重要なトピックで、キリスト教イスラム教・仏教などの勢力争いにも目が離せない。

中世においては、ヨーロッパよりもイスラムやモンゴルのほうが文明的な国家を作りあげていて、これらが世界征服をしたら人類は幸せだったのではと思えてくる。人類史最大の失敗は、キリスト教が覇権を握ったことだ。キリスト教は不寛容で多様性を排除する。一方、たとえば初期のイスラム教は異教徒を迫害せず包摂してきた。現代とはイメージが正反対である。

本書が文句なしに面白いのは中世までで、大航海時代が始まってからはヨーロッパの覇権が決定的となって平板になる。ほとんどヨーロッパ史の再確認みたいになって退屈だった。

ただ、しばらくはだれたものの、20世紀に入り中東の石油を巡って綱引きをするようになってから持ち直した。イギリスは収奪的な支配体制を敷いて原住民から嫌われてるし、その後介入してきたアメリカはソ連をこの地域に近づけたくなくてあれこれ画策している。各国の思惑が錯綜していて面白かった。

今後は中国の一路一帯がシルクロード復権の鍵になるという。国際政治がどうなるか気になるところである。

以下、本書で印象的だった記述。

ヨーロッパの中世は十字軍と騎士道、そして教皇の権力増大の時代とみるのが一般的だが、これらは遠い東の世界で起きた大規模な戦いに比べれば取るに足りないものだった。モンゴルは部族制度によって世界征服を目前にし、アジア大陸の大半を支配した。残るはヨーロッパと北アフリカだ。特筆すべきは、モンゴルの支配者が狙いを定めたのは後者だったという事実だ。つまりヨーロッパは、獲物としては最良の選択肢ではなかったのである。モンゴルはエジプトの豊かな農産物と、あらゆる方面へ向かう交易路が交わるナイルの掌握を目指すが、そこに立ちはだかったのは同じくステップからやってきた男たちが指揮する軍隊だった。これは単なる権力闘争ではなく、政治的、文化的、社会的システムをめぐる衝突だった。中世世界の最大の軍事衝突は、中央アジアと東アジア出身の遊牧民族同士が主人公だったのである。(上 p.214)

やはり世界史は西洋が覇権を握る前が面白い。

 

新興宗教の教祖になるマニュアル本の体になっているが、書いてあることは宗教とは何なのか、どのような仕組みで成り立っているのか、そういう本質的な説明をしていて参考になる。何よりくだけた口調で読みやすいところがいい。宗教とは信者をハッピーにするものであり、それは例外なく現世利益を謳っている。神も仏も信者をハッピーにするための機能にすぎない。本書は身も蓋もない言い方でずばり核心を突くところが面白かった。

新興宗教が反社会的になる理由が奮っている。

なぜ、新興宗教が反社会的になるかというと、そもそも新興宗教はその社会が抱える問題点に根差して発生するものだからです。なので、どうしても反社会的にならざるを得ませんし、また、そこにこそ宗教の意義があるとも言えます。イエスは徴税人や売春婦と交わりましたが、彼らは当時穢れた職業と考えられていました。今の感覚で言えば職業差別ですが、当時の社会では彼らを差別することこそが、むしろ「正しい」ことだったのです。ですから、彼らのような社会的弱者を救済し、神の祝福を与えるイエスは、どうしても反社会的にならざるをえないわけです。安息日に病人を癒したのも、神殿で商人相手に暴れ回ったのも彼なりの信念によるもので、「安息日に人を助けられないってバカじゃないの?」「神聖な神殿で商売するってバカじゃないの?」という意味があったのです。これも今の感覚からすれば納得できる話ですが、当時ではやっぱり反社会的だったわけです。

社会が正しいとは言い切れないから反社会的になる。宗教の役割は社会に迎合することではなく、あくまで信者をハッピーにすることにある。このテーゼが一貫しているところに感心した。

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