海外文学読書録

書評と感想

2021年に読んだ374冊から星5の15冊を紹介

このブログでは原則的に海外文学しか扱ってないが、実は日本文学やノンフィクションも陰でそこそこ読んでおり、それらを読書メーターに登録している。 今回、2021年に読んだすべての本から、最高点(星5)を付けた本をピックアップすることにした。読書の参考にしてもらえれば幸いである。

評価の目安は以下の通り。

  • ★★★★★---超面白い
  • ★★★★---面白い
  • ★★★---普通
  • ★★---厳しい
  • ★---超厳しい

光文社古典新訳文庫を立ち上げた編集者・駒井稔が、同文庫の訳者たちにインタビューしている。元は紀伊國屋書店で行われたイベント。全14章。

以下、本書に登場した訳者たち。

どうにもいけ好かないタイトルだが、中身は良かった。「100分de名著」を複数回見たくらいの濃密さで、作品を読み解く手引になる。各章は時代背景や文学的意義の説明だけでなく、翻訳におけるこだわりなども述べている。

個人的にもっとも参考になったのがロブ=グリエ『消しゴム』の章で、ここでは訳者の中条省平が、ロブ=グリエの問題意識を分かりやすく解説している。

ロブ=グリエに先行するカミュサルトルは人間中心主義の価値観だった。ところが、その後に出てきた構造主義ヌーヴォー・ロマンは、人間中心主義から脱却した正反対の価値観を打ち出している。そしてそれゆえに、ロブ=グリエの小説は意味づけを拒むような難解な作風になっているのだ。

それで、なぜロブ=グリエが映画を撮り始めたかというと、映画というのは意味づけをしなくても済む。つまり、カメラを向けただけで世界が映っちゃう。ところが、小説の場合はなぜそういう世界を描いたかと意味づけしなければならない。そういう意味づけ自体が、既に人間中心主義だとロブ=グリエは考えるんです。だから、そういうのはやめようと。

そういうことをやめると『嫉妬』になっちゃうわけです。つまり、一人の男が自分の女房が浮気しているんじゃないかと思って、ブラインドの陰から、ずっと見ていて、ああでもないこうでもないと、延々と言い続ける。普通、人間中心主義的に考えれば、女房が浮気していて、亭主が怒るという話になって、喧嘩が起こったりします。これが従来の小説だとすると、ロブ=グリエの場合は、その女房が浮気しているかどうかなんて、表面的にはわからない。だからひたすら見続ける。世界に嫉妬という人間的な概念を導入して、理解した気になってはいけないというのが、ロブ=グリエの考え方なんです。(pp.77-78)

さらに、ロブ=グリエバルザックを否定したかった。

つまり、バルザックは、世界を描いているように見えるけれども、情念とか感情とか、そういうもののドラマとして世界を描いていると言うわけです。でも、現代人がバルザック的な情熱とか、情念を持てるかと、彼は考える。嫉妬するにしろ、お金が欲しいにしろ、あるいは女に狂うとか、ごく当たり前の人間的な情熱にしろ、それをあたかも素晴らしい人間的な価値であるかのように書いちゃうバルザックの小説は嘘だと言うわけです。人間はもっと平板な世界をみみっちく生きていて、なぜその真実に近づかないんだと言った。(pp.79-80)

この先駆者として中条はカフカの名前を挙げている。門外漢としては腑に落ちる解説だった。

それと、ナボコフの小説を訳した貝塚哉が、「小説は物語じゃない」と言い切っているのも痛快だった。

小説には言葉しかない。それを逆手に取って、言葉の面白さで小説を作っていけば、小説は映画を負けずに売れるんですね。ストーリーだけで勝負しようと思ったら、負けてしまいます。なので、二十世紀の心ある作家たちは、そのことをすごく意識した。いかに言葉自体を面白くするかということにこだわったわけです。(p.398)

こういう態度が読書界のデフォルトになればいいと思う。最近は猫も杓子も物語を求めすぎなので。

以下、本書で言及された中で読みたいと思った本。備忘録として書いておく。

 

上下巻。

古代ペルシアの時代から9.11後の現代まで幅広く扱っている。

本書を読んで分かるのは、人類の歴史が欲望の歴史であることだ。人々が移動したり交易したりするのは、富を求めることに原因がある。古代ローマも十字軍も、東にある富を求めて戦争してきた。そして、戦争によって異なる文化の輸出入が促進されている。現代人からすると違和感があるかもしれないが、実際のところ、戦争が人類の発展に貢献してきたのだ。さらに、宗教がどのように伝播していったのかも重要なトピックで、キリスト教イスラム教・仏教などの勢力争いにも目が離せない。

中世においては、ヨーロッパよりもイスラムやモンゴルのほうが文明的な国家を作りあげていて、これらが世界征服をしたら人類は幸せだったのではと思えてくる。人類史最大の失敗は、キリスト教が覇権を握ったことだ。キリスト教は不寛容で多様性を排除する。一方、たとえば初期のイスラム教は異教徒を迫害せず包摂してきた。現代とはイメージが正反対である。

本書が文句なしに面白いのは中世までで、大航海時代が始まってからはヨーロッパの覇権が決定的となって平板になる。ほとんどヨーロッパ史の再確認みたいになって退屈だった。

ただ、しばらくはだれたものの、20世紀に入り中東の石油を巡って綱引きをするようになってから持ち直した。イギリスは収奪的な支配体制を敷いて原住民から嫌われてるし、その後介入してきたアメリカはソ連をこの地域に近づけたくなくてあれこれ画策している。各国の思惑が錯綜していて面白かった。

今後は中国の一路一帯がシルクロード復権の鍵になるという。国際政治がどうなるか気になるところである。

以下、本書で印象的だった記述。

ヨーロッパの中世は十字軍と騎士道、そして教皇の権力増大の時代とみるのが一般的だが、これらは遠い東の世界で起きた大規模な戦いに比べれば取るに足りないものだった。モンゴルは部族制度によって世界征服を目前にし、アジア大陸の大半を支配した。残るはヨーロッパと北アフリカだ。特筆すべきは、モンゴルの支配者が狙いを定めたのは後者だったという事実だ。つまりヨーロッパは、獲物としては最良の選択肢ではなかったのである。モンゴルはエジプトの豊かな農産物と、あらゆる方面へ向かう交易路が交わるナイルの掌握を目指すが、そこに立ちはだかったのは同じくステップからやってきた男たちが指揮する軍隊だった。これは単なる権力闘争ではなく、政治的、文化的、社会的システムをめぐる衝突だった。中世世界の最大の軍事衝突は、中央アジアと東アジア出身の遊牧民族同士が主人公だったのである。(上 p.214)

やはり世界史は西洋が覇権を握る前が面白い。

 

新興宗教の教祖になるマニュアル本の体になっているが、書いてあることは宗教とは何なのか、どのような仕組みで成り立っているのか、そういう本質的な説明をしていて参考になる。何よりくだけた口調で読みやすいところがいい。宗教とは信者をハッピーにするものであり、それは例外なく現世利益を謳っている。神も仏も信者をハッピーにするための機能にすぎない。本書は身も蓋もない言い方でずばり核心を突くところが面白かった。

新興宗教が反社会的になる理由が奮っている。

なぜ、新興宗教が反社会的になるかというと、そもそも新興宗教はその社会が抱える問題点に根差して発生するものだからです。なので、どうしても反社会的にならざるを得ませんし、また、そこにこそ宗教の意義があるとも言えます。イエスは徴税人や売春婦と交わりましたが、彼らは当時穢れた職業と考えられていました。今の感覚で言えば職業差別ですが、当時の社会では彼らを差別することこそが、むしろ「正しい」ことだったのです。ですから、彼らのような社会的弱者を救済し、神の祝福を与えるイエスは、どうしても反社会的にならざるをえないわけです。安息日に病人を癒したのも、神殿で商人相手に暴れ回ったのも彼なりの信念によるもので、「安息日に人を助けられないってバカじゃないの?」「神聖な神殿で商売するってバカじゃないの?」という意味があったのです。これも今の感覚からすれば納得できる話ですが、当時ではやっぱり反社会的だったわけです。

社会が正しいとは言い切れないから反社会的になる。宗教の役割は社会に迎合することではなく、あくまで信者をハッピーにすることにある。このテーゼが一貫しているところに感心した。

 

15人の研究者が分担して執筆したアメリカ文学ガイド。学生向けという体裁になっているが、一般の社会人が読んでも参考になる。

特徴的なのがその構成だろう。まずアメリカの歴史を簡単に説明し、次にそれに沿った文学史のアウトラインを示し、最後にその時代の代表的作家を紹介している。本書で取り上げた作家の数は100人。1人あたり2ページを割いてその文学的意義を論じている。

たとえば、以下はハーマン・メルヴィルの項目。

南海や中東など世界各地を訪れた経験から、近代化するアメリカを外から見つめなおすことができたのだろう、メルヴィル奴隷制や腐敗した民主主義、拝金主義を痛烈に批判した。また、その矛先は、そうした批判を理解しない読者にも向けられた。彼の小説ではしばしば「視点人物」の技法が用いられるが。多くの場合、その人物は出来事の背後にある真実を理解できず、メルヴィルの批判の対象になっている。したがって、視点人物を通して出来事を見る他はない読者もまた、真実を理解できずに批判されるという事態が生じる。重要なことだが、こうした作者と読者の間の不十分なコミュニケーションのあり方は、「神の沈黙」という、後にニーチェに問われることになる宗教的テーマともつながっている。人が現象の背後にある神の意図を理解できないように、読者は小説中の出来事の背後にある真実や作者の意図を知ることができないのだ。メルヴィルの小説は極めて近代的な「神の沈黙」の問題を扱いながら、同時に「読むこと」(すなわち小説)の可能性とその限界を探っていたといっていい。(p.53)

専門家ならではの視点で実に興味深い。本書はこういった鋭い見解がたくさん出てくるので、初学者の道標になること請け合いである。

また、本書はアメリカ文学の重要テーマとして15項目のトピックを解説している。取り上げているのは、「人種」、「階級」、「ジェンダー」、「セクシュアリティ」、「戦争」、「宗教」、「自然」、「イノセンス(無垢)」、「家族/家庭」、「地域性」、「共同体」、「自我」、「視点/語り手(小説)」、「文体/詩形(詩)」、「リアリズム/反リアリズム(演劇)」。

たとえば、以下は「戦争」の項目。

また、『赤い武勲章』は「戦争」と「語り」との分かちがたい関係を理解するための格好のテクストになっている。「戦争熱」に浮かされたヘンリーは、戦争で勝利を収めて故郷に帰還し、「暖かく彩られた部屋」で女達を相手に英雄然として武勇伝を「語る」自分の姿をうっとりと夢想する。つまり、戦争のロマンティシズムとは実際の戦場から遠く離れた「語り」の産物なのである。『武器よさらば』でフレデリックが「栄光」、「名誉」、「勇気」など戦争の大義名分として使われてきた抽象的な単語を「猥雑」だといい切る場面にも示されているように、戦争を美化するのはそれを語る甘美で実体のない「言葉」に他ならない。言葉によって美しく脚色を施された戦争は若者達を戦場へと駆り立てるし、ロマンティックな武勇伝には戦争を奨励する風潮を生む危険性がある。多くの優れた戦争小説は、このような「言葉」に対する強い意識に貫かれている。(p.284)

文学とはただ漫然と読むよりも、目的意識を持って能動的に読んだほうが遥かに面白い。そういう大切なことを教えてくれる本だった。

 

魔法少女とフェミニティの関係について論じた本。著者の博士論文が元になっている。『魔法使いサリー』から『プリキュア』シリーズまで、魔法少女アニメを通史的に取り上げ、フェミニズムの観点から分析している。魔法少女アニメの特色とその変遷を炙り出していて面白かった。

魔法少女アニメは元々西洋の魔女から着想を得ているため、西洋文化が理想的な価値として表象されている。たとえば、洋風のお屋敷だったり、登場人物の黄色い髪(金髪)だったり。しかしその一方で、西洋と日本を折衷しようという動きが早い段階で表れている。

以下は『魔法使いサリー』について。

魔法使いサリー』において、当初サリーは、自然化、不可視化されていた日本のヘゲモニックな規範を異化する機能を果たしていた。シリーズ後半になると、日本の価値観(たとえば、魔法を使わずに努力すること)を獲得することで、自らを土着化していく。実際、第六〇話でサリーは魔法を行使せずポニーを手助けするなど、パワーを駆使しない美徳を内面化していく。最終回で魔力の行使が、サリーの非日本性(他者性)を再認識させ、人間(日本)に脅威を与えたが、子どもたちの共同体の再興と相互理解を可能にしたのは、サリーの自己犠牲という、しばしば女性と結びつき、強調される美徳行為であった。最終回のラストシーンで、西洋風の馬車がサリーの「西洋」表象を強調しているが、一方で、日本の精神をすでに内面化した「西洋」文化の行為体であるサリーは、よし子やすみれたち(日本人)にとって憧憬の対象(ガールヒーロー)となるのである。(p.93)

さらに、『セーラームーン』以降、魔法少女アニメにマザーリングやケアのテーマが頻出するようになる。母性が強さと女性同士の絆を高め、「子供を守る母の力強さ」を戦略的に使用しているのだ。

以下は『ふたりはプリキュア』について。

ふたりはプリキュア』において、ケアとマザーリングは、母性が女性の生来の気質ではなく、社会的な構築物だということを、明確に表象している。ケアとマザーリングという役割のパフォーマンスは、異なる共同体に属するふたりに、同質性を与える契機を創出しているのである。(p.241)

この辺は検討の余地がありそうだが、少なくとも『プリキュア』シリーズがPCであろうとしており、それをフェミニストがしっかり汲み取っている構図が見て取れて面白い。

個人的に興味深かったのが、フェミニティについてのくだりである。魔法少女アニメにおいてフェミニティとパワーは結びついているが、男性化は巧妙に回避されているのだという。

以下は『セーラームーン』の変身について。

「変身」はフェミニティの表象であるとともに、少女の自信や社会的責任感の構築の装置なのである。セーラーコスチュームは明らかに戦闘には不向きであるが、フェミニティの強調はすなわちパワーであり、五人それぞれ「美しく」変身するととが、結束と力の産出というポジティブなイメージを構築しているのである。(p.140)

このようにフェミニティを肯定的に用いているところが魔法少女アニメの魅力で、男性の僕が視聴する誘引にもなっている(『おジャ魔女どれみ』シリーズはすべて観たし、『セーラームーン』シリーズと『プリキュア』シリーズも大半は観ている)。このジャンル、表向きは女児向けであるものの、制作者による思想的な配慮が窺えるため、男女問わず大人の鑑賞に堪えるコンテンツに仕上がっている。

というわけで、本書は魔法少女アニメにはまったことがある人なら面白く読めるだろう。

 

全3巻。

政治から文化まで、50年代アメリカのトピックを網羅的に取り上げている。これは相当な力作で、この時代について知りたいなら必読である。50年代とは何だったのか。その状況を様々な切り口から概観できる。

このブログの読者にとって最も関心がありそうなのは、『欲望という名の電車』【Amazon】の章だろう。この章では、作者のテネシー・ウィリアムズが舞台監督のエリア・カザンへ宛てた売り込みの手紙が紹介されている。

本作品の売りは、信憑性もしくは迫真性にあふれる人生描写です。世の中には完全な"善人"も"悪人"もいません。ほかより少し良い人や、少し悪い人がいるだけで、人間が行動を起こす動機は、たいてい悪意ではなく誤解です。互いの心の動きに対する無知、と言い換えてもいいでしょう。たとえば、スタンリーはブランチを単なる計算高い"尻軽女"と見なしています。実際は、絶望の淵まで追い詰められた女が、死に物狂いで最後の抵抗を試みているのですが……。他人の真の姿を見極めることなど誰にもできません。現実の世界では、自我という傷だらけのレンズを通さなければ、わたしたちは互いの姿を見ることができないのです。虚栄、恐怖、欲望、競争――このようなエゴの歪みが、関わり合う他者への見方を条件付けます。自分自身のエゴの歪みに、他人のエゴの歪みが加わったとき、レンズがどれほど曇るかは想像に難くないでしょう。(第1巻 p.420)

作者が自作について語る文章ほど面白いものはない。そういう意図で創作したのかと思わず膝を打ちたくなる。

アメリカの生活史のターニングポイントとなるのがプレイボーイ誌の急成長だ。

《プレイボーイ》誌の急成長は、戦後アメリカの改革派的・清教徒的価値観の衰退を反映していた。衰退のきっかけは、何をさておき社会の豊かさだ。庶民の暮らしがかつてないほどに向上した結果、特権階級しか所有できなかったものを誰もが欲しがるようになり、富裕層が伝統的に謳歌してきた個人の自由をも求めるようになった。そして、この急激な変化は、昔ながらの枷に弛みを生じさせた。(第3巻 p.65)

経済的な豊かさが人々の価値観を変えているところが興味深い。思えば、戦後日本も似たような道筋を辿ることになった。

本書がキューバ革命で終わるところが象徴的で、50年代の繁栄がまやかしのものだったことが示唆されている。確かにアメリカ人は裕福になった。その反面、国内では黒人差別を抱え、国外では中南米諸国を相手に好き勝手している。50年代で拵えた様々な歪みが、60年代になって一気に噴出するというわけだ。

本書は文学や映画など、アメリカ文化に親しんでいる人なら面白く読めるだろう。時代背景を知ると作品もよく理解できる。

 

『江戸・東京の被差別部落の歴史』(明石書店)を改題・文庫化したもの。

弾左衛門とは何かというと、以下の通りである。

弾左衛門は、江戸時代十三代続いた江戸・関東の被差別民の支配者である。幕府側の正式な呼び名は「穢多頭弾左衛門」、自らは「長吏(頭)弾左衛門」と称した。弾左衛門は、世襲制で身分は長吏(穢多身分)に属し、江戸町奉行の支配を受けていた。

弾左衛門が支配した被差別民は、長吏、非人、猿飼、乞胸などである。また歌舞伎などの各種芸能を、江戸中期(一七〇六・宝永五年)まで興行面で支配した。皮革・灯心・筬などの専売権や、関東全般の被差別民への支配権を背景に、歴代弾左衛門は、江戸浅草に旗本なみの屋敷を営み、上級旗本の格式で生活し、その財力は大名をしのいだともいわれている。(pp.25-26)

本書は浅草本町に拠点を構えた江戸の被差別民に焦点を当てることで、近世都市江戸の全体像が把握できるようになっている。いわゆる「穢多非人」と呼ばれていた人たちは、町人からきつい差別を受けながらも、都市機能の重要な部分を担っていた。そんな被差別民を支配していたのが弾左衛門であり、その体制は明治維新まで続くことになる。

個人的に興味深かったのは、勝扇事件によって弾左衛門が歌舞伎への影響力を永久に失ったこと、さらに、明治維新後の新政府に特権を剥奪されて弾左衛門体制があっさり崩壊してしまったことの二点だった。結局のところ、被差別民の世界も諸行無常だったのだ。そして、差別構造だけが温存されたまま現在に至っている。

本書は歴史の裏側を目の当たりにしたような感じで面白かった。

 

ジプシー×社会主義国家というかなり珍しい題材を扱っている。基本的には一人の女性詩人の数奇な人生を描いているが、とりわけ優れているのが語り口だろう。我々にとって他者であるジプシーに声を与え、それを豊かなディテールで説得力あるものにしている。また、チェコスロヴァキアという舞台設定も珍しい。当初は星4か星5で迷ったが、その文学的野心を買って星5にした。

なお、同じ著者の『世界を回せ』も傑作である(こちらは全米図書賞を受賞している)。

pulp-literature.hatenablog.com

 

 

シリーズ1作目。本書は「選択の限界」、「科学の限界」、「知識の限界」と章を立て、アロウの不可能性定理やハイゼンベルク不確定性原理ゲーデル不完全性定理といった哲学上の諸問題を取り上げている。ディスカッション形式であるため初心者でも分かりやすい。また、内容が広く浅いので大学の教養課程に使えそう。入門書としてお勧めする。

 

シリーズ2作目。本書は「言語の限界」、「予測の限界」、「思考の限界」と章を立て、「論理哲学論考」のパラドックス帰納法パラドックス人間原理パラドックスといった哲学上の諸問題を取り上げている。ディスカッション形式であるため初心者でも分かりやすい。また、内容が広く浅いので大学の教養課程に使えそう。入門書としてお勧めする。

 

シリーズ3作目。本書は「行為の限界」、「意志の限界」、「存在の限界」と章を立て、カーネマンの行動経済学ドーキンスの生存機械論、カミュ形而上学的反抗といった哲学上の諸問題を取り上げている。ディスカッション形式であるため初心者でも分かりやすい。また、内容が広く浅いので大学の教養課程に使えそう。入門書としてお勧めする。

個人的にこのシリーズは『闇の自己啓発』【Amazon】の哲学版といった印象で、ネット民の好きなトピックを噛み砕いて説明しているところがいい。SNSの人文系クラスタに受けがよさそうである。

なお、今年文庫化された『反逆の神話』【Amazon】もネット民の好きなトピックを扱っていて面白い。こちらはカウンターカルチャーがその意に反して消費主義に寄与しており、この運動では体制を変えられないと論じている。引き合いに出される思想やサブカルチャーの数々がネット民的だ。

 

アガサ・クリスティーの全作品をレビューしたブックガイド。本文中にはネタバレがないので、未読の人も既読の人も楽しめる。元々はブログの記事だったそうで、この企画をスタートした段階ではクリスティーの作品をほんの少ししか読んでいなかったという。本書はそういった新鮮な目から全作品を洗っているところが良かった。

各作品に5点満点で評点をつけているところもポイントだろう。評点はレビューの要である。一人の人間の一貫した価値基準によって作品をマッピングする。しかも、一人の著者の全作品を読んだうえで。クリスティーは海外の物故作家ゆえ、評者も遠慮なくのびのびと論じている。権威やしがらみから自由だから参考になる。

また、評者はミステリ評論家なだけあって鋭い指摘がてんこ盛りでもある。

たとえば、以下の文章(『エッジウェア卿の死』【Amazon】の項)。クリスティー作品の本質を喝破している。

「犯人探しミステリ」を読むとき、読者はどんなふうに容疑者たちを見るのか。どんなときに特定の容疑者を疑うのか。あるいはどんなときに特定の容疑者をリストから外すのか。――クリスティーは、それを全部見越している。そのうえで、それをすべて逆手にとって、読者の注意を間違ったほうに誘導する。そのときにクリスティーが道具として使うのが、一見すると「ミステリという骨格」を装飾しているだけに見える「物語という肉」なのだ。そこにクリスティーは罠を隠す。(Kindle の位置No.429-433)

さらに、本書は並び順も考えられていて、「エルキュール・ポアロ長編作品」、「ミス・マープル長編作品」、「トミー&タペンス長編作品」といった具合にシリーズごとにまとめられている。こうすることで評者によるマッピングが有効に機能にしていた。

 

ピュグマリオーンの伝説を捻っているのと同時に、当時の中産階級を様々な角度から皮肉っていて面白かった。イライザのコックニー訛りを舞台でどう表現するのか気になるし、ヒギンズの毒舌ぶりも注目に値する。

個人的に一番の関心事がヒギンズのミソジニーで、その裏にマザコンがべったり貼り付いているところが目を引いた。ミソジニーとマザコンは切っても来れない関係ではないかと思い始めている。

pulp-literature.hatenablog.com

 

上下巻。

バラク・オバマ元大統領の回顧録

地域のコミュニティ・オーガナイザーから政界に飛び込み、大統領選に出馬。見事選挙戦を勝ち抜き、大統領就任後はリーマン・ショックの後始末やアフガニスタンへの米軍の増派を決める。その後、世界各国への外遊から医療保険制度改革、さらには念願だったオサマ・ビン・ラディンの殺害を果たす。

このように本書は2011年5月までの出来事を扱っている。続編の刊行が予定されているようだ。

本書は自身の政治活動をいくぶんの内省を交えながら語っており、職業としての大統領がどういうものなのか分かるようになっている。文章も知的でさすが読書家といった感じだ。内政と外交に奔走するところは日本の総理大臣と同様だが、日本の総理大臣ではここまで明晰な文章は書けないだろう(たとえゴーストライターを使ったとしても)。全体的に物事への洞察が鋭く、また、時折挿入される世界情勢の説明が参考になる。

印象的なのが、2009年の時点でタリバーンのことを正確に把握していたところだ。

ジョン・ブレナン国土安全保障・テロ対策担当補佐官は、タリバーンイラクアルカイダとは違ってアフガニスタン社会の根幹に深く溶け込んでいるので、完全に排除することはできないと再度強調した。また、タリバーンアルカイダに共鳴してはいるが、アフガニスタンの外でアメリカやアメリカの同盟国を攻撃する企ては見られないと指摘する。(下 p.162)

言われてみれば確かにその通りで、実際、2021年にタリバーンアフガニスタン支配下に置いてしまった。タリバーンアフガニスタン社会の根幹に深く溶け込んでいる証左である。

また、米中間の貿易不均衡について温家宝とやりとりしたくだりも面白い。

温とのやりとりは、世界の二大経済国による貿易政策の交渉というより、まるで露店での鶏の価格をめぐる値切り交渉のように思えた。温ら中国のトップ層にとって、外交政策は純粋な商取引なのだとあらためて思い出した。彼らがどれだけ譲ってどれだけを得るかは、国際法という抽象的な原則ではなく、相手側の権力と影響力をどれほどと見積もるかによって決まるのである。そして相手からの抵抗がなければ、自国の利益を追いつづける。(下 p.225)

中国がどういう国なのか短い文章で簡潔に示している。

本書はこのように大統領の率直な印象が分かるところが魅力で、アメリカの政治に興味がある人なら必読だろう。当事者による第一級の資料であることに間違いない。

 

トランプ政権で国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトンによる回顧録。任期は2018年4月9日から2019年9月10日までで、政権の中途で辞任することになった。

辞めた経緯が経緯なので、論調としてはトランプ大統領に批判的だ。しかし、それゆえに政権の内幕が明け透けに語られていて面白い。トランプ大統領のハチャメチャな人物像がよく伝わってくる。

日本人としてはやはり日本への言及が気になるところで、そういう部分には付箋を貼って何度も読み直した。

大雑把に言えば、トランプ大統領と安倍首相の関係は終始良好で、ボルトンも日本に関してはちょっぴりお小言を書いているだけである(イラン問題について)。トランプ大統領は気分屋でおよそ公職に向いてない人物だが、安倍首相が徹底して彼のご機嫌取りをした結果、お気に入りの地位を獲得できたようだ。ただ、それでも日本政府は米軍駐留費の値上げなどの無理難題を突きつけられていて、国家外交とは難しいものだと唸らされる。

米朝首脳会談前の一幕が面白い。

その日、安倍首相が、カナダのシャルルボワで開催されるG7サミットに向かう途中、短い時間だったがワシントンに立ち寄った。トランプに再度、北朝鮮に対して大盤振る舞いしなよう釘を刺すためだ。安倍は北朝鮮のことをしぶとい"サバイバー"だと言い、こう続けた。「彼らは体制を守ることに命を懸けている、とてもタフで狡猾な政治家です……今回の会談もこれまでと同じ駆け引きだと判断したとたんに、元のやり方に戻してきますよ」。安倍とトランプの会話は北朝鮮問題では和やかに進んだものの、貿易問題になるとそうはいかなかった。トランプは不公平な貿易赤字について、とりわけ米国が日本を防衛していることを理由に不満を並べた。「米国は条約によって日本を守っている。それなのに日本は米国を守らない。交渉担当者が無能だったんじゃないか、ジョン?」。トランプは私を見て言った。続けて「米国は条約がなくても日本を守るだろう」と言い、にもかかわらず「不公平だ」と繰り返した。(pp.117-118)

日米関係がよく分かるやりとりである。

北朝鮮政策については、アメリカは非核化が最優先で、韓国は統一政策が最優先。だから両者は噛み合わない。一方、日本はアメリカと目標が一致している。そのためボルトンも日本には好意的だった。

日韓の足並みが揃わないことはアメリカも把握していたようで、トランプ大統領文在寅大統領とこんなやりとりをしている。

トランプは、日本との演習を忌避しながら同盟国として戦えるのかと尋ねた。文在寅の答えは率直だった。両政府は合同軍事演習を実施できるが、日本の部隊が韓国に入れば国民は歴史を思い出すというのだ。トランプは、北朝鮮との戦いが避けられなくなったらどうなるのか、韓国は日本の参戦を受け入れるのか、と念を入れて確認した。文在寅は明らかに答えたくない様子で、その問題を心配すべきでないと言いつつ、日本の自衛隊が韓国の地を踏まない限り韓国は日本と団結して戦う、と答えた。(p.374)

こういうのを読むと、東アジアの拗れた関係は永遠に解決しないのではないかと思う。

さらに印象的だったのが、金正恩とウラジミール・プーチンの老獪さだ。トランプ大統領が両者に外交交渉でしてやられているところが面白かった。特に金正恩は若いのにかなりのやり手で驚く。会談でトランプ大統領ロケットマンネタを振ったとき、笑って受け流していたのはさすがだった。

トランプ大統領が世界中に展開する米軍の経費について神経を尖らせていて、紛争地帯から撤退したがっていたのは興味深い。メディアで見せる強気の態度からタカ派のイメージが強かったが、本書を読む限りそうでもなかった。

 

2021年は漫画を多く読んだ年だった。読んだ本のうち、およそ180冊は漫画で占められている。特に『鬼滅の刃』『進撃の巨人』を一気読みしたのは大きかった。実を言うと、社会人になってから久しく漫画を読んでこなかったが、この2作を読んで「漫画も悪くないじゃん」と思い直している。

今年放送されたアニメで面白かったのは、『ウマ娘 プリティーダービー Season 2』『ラブライブ!スーパースター!!』でこの2作が同率1位だった。次点が『オッドタクシー』【Amazon】、その次が『かげきしょうじょ!!』【Amazon】である。思えば、今年は飛び抜けて面白いテレビアニメがなかった。

今年は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』が劇場公開と同年にプライム・ビデオで配信された。VODの存在感が否応なく増した年である。テレビに対するインターネットの勝利を決定づけたのではないか。プライム・ビデオにせよNetflixにせよ、今やVODサービスに加入しないという選択肢がなくなっている。NHKや民放各局はこれにどう対抗するのか。

なお、来年は久しぶりの企画記事に取り掛かる予定。今のところ違うテーマで2本書こうと思っている。どちらも年単位のリサーチが必要なので公開できるのは当分先である。

 

以下、年末特別記事の過去ログ。

 

pulp-literature.hatenablog.com

 

pulp-literature.hatenablog.com

 

pulp-literature.hatenablog.com

 

pulp-literature.hatenablog.com