海外文学読書録

書評と感想

ハサン・ブラーシム『死体展覧会』(2009,2013)

★★★★

短編集。「死体展覧会」、「コンパスと人殺し」、「グリーンゾーンのウサギ」、「軍の機関紙」、「クロスワード」、「穴」、「自由広場の狂人」、「イラク人キリスト」、「アラビアン・ナイフ」、「作曲家」、「ヤギの歌」、「記録と現実」、「あの不吉な微笑」、「カルロス・フエンテスの悪夢」の14編。

「常に心してもらいたいのは、我々は手当たり次第に殺して人々を怯えさせることを目的とするテロリストではないし、金目当ての狂った殺し屋でもないということだ。狂信的なイスラーム集団や、非道な政府の諜報機関といった下らない連中とは、我々は一切関わりがない。(p.8)

アメリカ文学者の藤井光が訳しているから、てっきり原語は英語なのかと思っていた。ところが、元はアラビア語で書かれており、それが英訳されて世界に広まったらしい。翻訳は世界文学になるための必要条件だと痛感した。

以下、各短編について。

「死体展覧会」。「彼」が「君」に対して仕事の説明をする。それはクライエントを殺害し、その死体を芸術的に展示することについてだった。自分たちはテロリストじゃないと言いながらも、やってることはテロリストそのもので首をひねってしまう。死体を使った芸術と称しているものの、これって治安の悪い地域で見られる晒し上げではなかろうか。あるいは、それを糊塗した表現なのかもしれない。ともあれ、のっけからパンチの効いた短編で驚いた。

「コンパスと人殺し」。マフディーの兄アブー・ハディードは暴虐な人間として恐れられていた。無法者の世界が描かれていて衝撃的だった。そこら辺の人に平然と暴力を行使しているけれど、これってアラブ世界の実情を反映しているのだろうか。今まではテロリストが人々を抑圧的に、かつ一定の規律で支配していたのだと思っていた。しかし、本作はそういった偏見を覆すものだった。暴力的な人間にも多様性があるというか。あるいは、ディストピアの中にもうひとつディストピアが存在しているというか。

「グリーンゾーンのウサギ」。ハッジャールとサルサールは、暗殺の仕事をすべく、バグダッドの北にある別荘に待機していた。十字軍の時代にアサシン派と呼ばれる暗殺集団が存在していたけれど、イスラム世界にとって暗殺とは、この頃からの伝統芸なのかもしれない。ナイフが爆弾に変わっただけなのだろう。それにしても、副大臣にまつわる逸話はおっかない。少し前までサダム・フセインが支配していたのを忘れていた。

「軍の機関紙」。10年前に自殺した男が、裁判官に向かって己の罪を語る。軍の機関紙に勤務していた彼は、兵士の短編小説を盗作して名声を築いていた。『世にも奇妙な物語』【Amazon】みたいな不思議な話で、死んだはずの兵士から大量の短編小説が送られるところはホラーっぽい。死者による語りといい、非現実的な内容といい、こういう小説は大好きだ。

クロスワード」。ジャーナリストの「ぼく」が、親友にしてクロスワードパズルの名人マルワーンについて語る。詩的な回想を通して、戦時中の不穏な日常が描かれるところが何とも言えない。爆弾テロが当たり前のように起こっている。これが21世紀の話なのだから恐ろしい。

「穴」。襲撃から逃げてきた「僕」が穴に落ちる。そこには老人が住んでいた。老人は自分のことをジン(精霊)と名乗り、アッバース朝のバクダッドで暮らしていたという。最近見た『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』【Amazon】が、似たような都市伝説を扱っていたなあと思った。本作の穴は日常にぽっかり開いた異界で、独自のルールを持っている。どうやら主は代替わりしていくらしい。過去・現在・未来が並列して存在しているのが魅力的だ。

「自由広場の狂人」。政府の方針で金髪の二人の像が撤去されることに。その二人はかつてこの地域に奇跡を起こしていた。こういう伝説の類は面白いね。たとえば以下の文章。「金髪の二人が姿を見せるようになってから二年もしないうちに、神話や伝説のなかで奇跡が起きるように、あらゆる願い叶った。行かず後家は結婚し、泥だらけの路地は舗装され、慢性的な病はことどとく治り、それまでは情けない成績しか取れなかった子供たちのほとんどが試験に合格したのだ。なかでも最大の奇跡は、人々の支持を受けた英雄的な将校たちによるクーデターで王政が打倒されたことだった。」(p.91) 冷静に考えると、金髪の二人とは何の関係もない、ただの偶然なところが笑える。

イラク人キリスト」。キリスト教徒のダニエルは、兵士仲間から奇跡を起こす男として信頼を寄せられていた。退役後、ダニエルは……。実は死者が語り手という仕掛けも驚きだけど、もっとすごいのが終盤でダニエルが遭遇する危機だ。これぞ中東、これぞイラクという感じがする。ところで、アブラハムの宗教って来世という概念はあるんだっけ?

「アラビアン・ナイフ」。「僕」と仲間たちはナイフ消しの術ができた。一方、友達のジャアフルはクウェート戦争で両脚を失って車椅子生活をしている。このナイフ消しが種も仕掛けもあるマジックではなく、本当に消えてるところがフィクションならではでいい。正真正銘の奇跡が当たり前のように存在していて、その奇跡がジャアフルの死を劇的にしている。我々からすれば奇跡も暴力も非日常だけど、それが日常と化した世界で起こる不条理が何とも言えない。

「作曲家」。「僕」の父は有名な作曲家で、政府高官と結びついていた。そんな父が無神論者になり、神や預言者を中傷する歌を作るようになる。イスラム圏は信仰が暴力によって強制されているから恐ろしい。無神論を公言すると処刑されてしまう。つくづく血の気の多い宗教だと思う。

「ヤギの歌」。独裁政権が終わった後に設立された〈記憶ラジオ〉。そこにめいめいが自分たちの物語を聞いてもらおうとやってくる。彼らはまずサンプルの物語を聞かされるのだった。物語で重要なのは真に迫っているか、そして語り口だという。その点で言えば、このサンプルは申し分がなく、参加者のハードルは上がったと思う。それにしても、イラクって独裁政権下でも、その後の時代でも、命を全うするのが難しそうで戦慄する。ここで生まれても生き延びる自信がない。

「記録と現実」。イラクからの難民が、スウェーデンの難民受け入れセンターで身の上話をする。彼は救急車の運転手だったが、テロ組織に誘拐されてビデオ出演させられることになった。以降、別の組織に売られていく。本当か嘘かは分からないけれども、イラクならこういうこともあり得ると思う。少なくとも語り口は真に迫っていたし、今まで読んだ短編もそんな感じだった。

「あの不吉な微笑」。男が朝目覚めると、顔がいまいましい微笑みになっていた。本作を読んで、サリンジャーの「笑い男」【Amazon】を思い出した。あと、『バットマン』に出てくるジョーカーもこの系統だろうか。笑顔の逆説的な不気味さとは、万国共通の感性なんだなと思った。

「カルロス・フエンテスの悪夢」。イラクからオランダに保護申請したサリーム・アブドゥルフサインが、これを機にカルロス・フエンテスに改名する。彼はものすごい勢いでオランダ社会に順応していくが……。自殺とは文字通り自分を殺すことで、たとえ夢の中であっても、それが過去の自分であっても、その因果は巡ってくる。不条理な世界と幻想的な物語は相性がいい。