海外文学読書録

書評と感想

スティーヴン・ミルハウザー『ホーム・ラン』(2015)

★★★

短編集。「ミラクル・ポリッシュ」、「息子たちと母たち」、「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」、「十三人の妻」、「Elsewhere」、「アルカディア」、「若きガウタマの快楽と苦悩」、「ホーム・ラン」の8編。また、エッセイ「短編小説の野心」も収録。

その言葉は静かに、戸惑い混じりの好奇心の口調で発せられた。私に答えられるような問いではない。私は何が欲しいのか? あらゆるものがかつてそうであった状態に戻って欲しいし、一家揃っての外出が、誕生日の蝋燭が欲しいし、熱っぽい私の額に冷たい手が触れて欲しいし、暗い居間に立っている、母親の顔を何とか見ようとしている慇懃無礼な中年男なんかに私をならせないで欲しい。(p.37)

原書は16編収録だが、翻訳本では8編ずつ2冊に分けて刊行するとのこと。

以下、各短編について。

「ミラクル・ポリッシュ」。「私」がセールスマンからミラクル・ポリッシュという洗剤を買う。それで鏡を拭くと自分がみずみずしく映るようになった。そこへ友達以上恋人未満のモニカがやってくる。現実の自分より鏡の自分のほうが魅力的に映るって、スマホの自撮りを連想させる。よく女の子が加工した自撮りをSNSにアップしているけど、本人とってはその加工後の自分が理想の姿なのだろう。だいたいの人は虚像でも美しく見せたいのである。それに対し、本作のモニカは「現実」のほうを大切にしていて、鏡に映る虚像よりも自分のほうを選んでもらいたいと思っている。僕も古い人間なので、やはり現実のほうが大切だと思うのだった。自撮りは加工すべきではない。

「息子たちと母たち」。中年男の「私」が久しぶりに実家に帰って母と会う。母は忘れっぽくなっていた。読んだ感じでは認知症なのだけど、作中ではそういう言葉を一切使わず、ただ小説内の現象として忘れっぽくなっている。この辺はミルハウザーらしいと思う。そして、本作はなかなかエモい。「私」は目の前の状況を受け入れ、また日々の生活に戻らなければならない。自立ってそういうものだと痛感した。

「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」。郊外の住みやすい町で自殺が流行する。本作が面白いのは、自殺の流行を深刻に扱わず、ファッションの流行みたいに軽く描いているところだ。ここでもやはり小説内の現象として人々が自殺している。それにしても、報告者が提言する対抗策があまりに過激で苦笑した。ただ、意外と筋は通っているのかもしれない。魚にとって水はある程度濁っていたほうが棲みやすいらしいし、これはこれで一理ある。

「十三人の妻」。「私」が13人いる妻を一人ずつ紹介していく。序盤は気分によって過ごす相手を変えているから、まるでお気に入りのCDコレクションみたいだと思っていた。ところが、中盤からは個別的な紹介の仕方で、古代の専制君主がこんな感じだったのだろうと思わせる。そして、13番目で見事な飛躍を見せてくれた。特定の女性であることを拒む彼女はもはや夢の女なのだ。その時々でプリズムのように姿を変えるところは、いかにも13番目の使徒という風情である。

「Elsewhere」。夏。町の様々な家庭でこそこそした動きが観測される。それが「顕現」の始まりだった。ミルハウザーの短編って、「退屈な日常」というのが前提にあって、それが何らかの形で破られるところが特徴だと思う。退屈な日常は、ときに夢想の領域にまで弾け飛ぶ。現実のアメリカ社会は色々な問題を抱えているけれど、ミルハウザーの短編世界はまあまあ穏やかで、それがマニエリスム的な印象を強めている。日本の作家で比較的近いのは星新一ではないか?

アルカディア」。アルカディアという自然豊かな宿泊施設のPR文。ごく普通の宿泊施設かと思いきや、利用者は私生活で様々な問題を抱えている人たちで、支援員を配備したリハビリ施設みたいになっている。現代におけるユートピアとは、こういう癒やしの管理施設なのだろう。自然による開放感と支援員による手厚いケア。そう考えると、老人ホームは利用者にとってユートピアに近いのかもしれない(職員にとっては地獄だろうが)。僕も然るべき時が来たら利用したい。

「若きガウタマの快楽と苦悩」。王子ガウタマ・シッダールタは、父が提供する快楽に倦んでいた。その有様を親友のチャンダが心配している。本作を読んで日本の天皇家を連想した。さすがに昔ほど贅沢してないとはいえ、相変わらず皇位継承者は行動に不自由があり、庶民のように冒険することができない。彼らはガウタマと同じ飛べない白鳥である。思うに、快楽と自由はバーターで、それゆえに苦悩が生まれるのだ。ガウタマを引き止めるにはどうすれば良かったのか? それは自己実現のための仮想体験をさせることで、現代ではその役割をインターネットが担っている。

「ホーム・ラン」。9回裏ツーアウト。同点でランナー一三塁。そこでバッターがホームランを打つ。ありきたりな発想とはいえ、こういう『ドラゴンボール』【Amazon】的なインフレは読んでいて楽しい。アメリカ文学伝統の法螺話。