海外文学読書録

書評と感想

是枝裕和『幻の光』(1995/日)

★★★★★

ゆみ子(江角マキコ)は12歳の時に祖母が失踪し、25歳になってからは夫の郁夫(浅野忠信)が謎の自殺を遂げることになる。5年後、ゆみ子は奥能登の漁村に住む民雄(内藤剛志)と再婚。しかし、ゆみ子は郁夫のことが忘れられず……。

原作は宮本輝の同名小説【Amazon】。

是枝裕和のデビュー作である。この監督は段々と社会派な作風になっていって評価を上げてきたけれど、純粋な映画としてだったら本作がベストだと思う。とにかく風景の捉え方がすごい。これぞ日本映画という感じだった。

通常の映画は人物を目立たせて、風景をその背景として使うものだけど、本作はそれを逆転させている。すなわち、人物が風景に溶け込むことで、本来だったら背景にあるはずの風景が前面に出ている。その意図はロングショットの多用からも明らかだろう。特徴的なのが、大阪も奥能登も風景が貧乏臭いところ。裏路地、駅、海岸。どこもうらぶれているし、さびれている。しかし、それゆえに侘び寂びを感じさせるのだ。これは田舎を美しく描こうとするアニメとは正反対の志向で、結果的には日本的な情緒を醸し出している。こういう表現手法もありだなと思った。

風景についてはどのシーンを切り取っても素晴らしいものがあるけれど、一続きのまとまりとしてだったら、子供2人で遊ぶシークエンスが最高だ。海岸での壊れた船をめぐるやりとり、トンネルでの幽玄な映像。実はこのシークエンス、子供を撮っているのではなく、子供を通して浮き上がる風景を撮っている。2人の子供は様々な風景を撮るための口実に過ぎない。このシークエンスは本当に素晴らしかった。

ここまで風景が引き立っているのは、物語が薄いからだろう。本作における物語は喪失感を引き出すためのトポスに過ぎず、映画はそこに焦点を当てていない。文学において物語がテクストを駆動させるエンジンであるように、本作においても、物語は映像というテクストを駆動させるために存在する。こういう映画はなかなかなくて、たとえば『言の葉の庭』なんかは、美しい映像が主張の強い物語を引き立てていた(ちょうど本作とは逆だ)。大抵は映像をそのように使うわけで、本作の試みは文学ファンの琴線に触れるものとなっている。

主演の江角マキコは「強い女」のイメージがあったので、こういう「陰のある女」は意外性があった。しかし後で調べたところ、彼女は本作で女優デビューしたらしく、『ショムニ』【Amazon】は3年後の作品である。この事実には大いに驚いた。