海外文学読書録

書評と感想

ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』(1987/独=仏)

★★★

ベルリン。天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は地上の人々の内心の声に耳を傾けながら寄り添っている。天使は人間に介入できない。ただ見ているだけ。ダミエルは友人の天使カシエル(オットー・ザンダー)と時折話をしている。地上ではピーター・フォークピーター・フォーク)が映画撮影のためにベルリンに来ていた。また、老詩人ホメーロス(クルト・ボイス)は図書館で探しものをしている。ダミエルはサーカスで空中ブランコの練習をしているマリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)に出くわす。ダミエルはマリオンに一目惚れした。

ベルリンの壁崩壊の2年前にこういう映画を撮ったのか、という意味で感慨深い。物語の主軸はダミエルとマリオンのロマンスだが、カメラに映っているのは東西に分断されたドイツの歴史の重みだった。劇中で撮影されている映画がナチス絡みなのは意図的だろう。ナチスは現代ドイツの負の遺産であると同時に、現代ドイツの一大産業にもなっている。小説・映画・ドラマなど金儲けの道具になっている。ハーケンクロイツヒトラーの噂話にはそういったアイロニーを感じた。

ただ見ているだけの天使はカメラのようである。主体的なプレイヤーではない。プレイヤーは人間である。天使はそんな人間たちの心の声を聞く。そうすることで天使の視点と観客の視点がシンクロするのだ。天使はベルリンの人たちの様々な人生に触れる。同時に、観客もベルリンの人たちの様々な人生に触れる。天使も観客もただ触れるだけで介入はしない(できない)。現代に生きる僕はまるでSNSみたいだと思った。SNSでは様々な人の心の声で溢れている。それを僕は黙って見ている。決して彼らの人生には介入しない(できない)。SNSではいつも誰かが怒っているし、いつも誰かが悲しんでいる。総じて不幸な人が多いようだ。僕はそんな人生劇場をパノラマ的に眺めている。天使も僕も一介の観察者に過ぎなかった。本作の視点のあり方は来るべきSNS社会を先取りしてる。

『ことの次第』『パリ、テキサス』のように、本作も終盤でエモーションが最大化するように構成されている。中盤まで退屈なのも同様だ。ヴィム・ヴェンダースはストーリーの弱さを映像の力で押し切っている。確かに映像は素晴らしい。モノクロは普通のモノクロではないし、カラーもやはり普通のカラーではない。特に本作は冒頭の空撮からして一味違った。どうやってあのような端正な風合いにしているのだろう? この風合いでベルリンを撮ったら嫌でも歴史の重みを感じざるを得ない。東西の分断とその原因を意識せざるを得ない。ヴィム・ヴェンダース映画作家というよりは映像作家という感じがする。

ピーター・フォークニック・ケイヴの起用の仕方が面白い。どちらも本人役での出演である。しかも、ピーター・フォークは元天使で『刑事コロンボ』の俳優として認知されていた。一方、ニック・ケイヴは劇中でライブを披露している。ヴィム・ヴェンダースってけっこうミーハーなのではないか。