海外文学読書録

書評と感想

ディディエ・デナンクス『未完の巨人人形』(1984)

★★

フランス北部の町アズブルック。かつての恋人に会いに来た男が、殺人の容疑で逮捕される。男は精神錯乱で不起訴になり、精神病院に入院することに。1年後、男は事件の真相をカセットテープに吹き込んで自殺するのだった。そのテープを聞いたカダン刑事が、事件の再捜査に乗り出す。

だからおれはこのカセットテープを吹きこんだのだ。皆がようやくおれの話に耳を傾けるように。おれの声が永久に消え去ろうとしているいま、皆がその声を聞くように。(p.38)

社会派要素の強かった前2作*1に比べると、本作はチャンドラー風の私立探偵小説に寄せたような感じがする。といっても、主人公は探偵ではなく刑事だ。だから捜査には目立った障害がないし、妨害があったとしてもあっさり切り抜けている。ともあれ、何の変哲もない殺人事件から複雑な背後関係を暴き出し、人間の業を炙り出すところがこの手の小説の醍醐味だろう。終盤では探偵役が律儀に気絶までしていて、お約束を守るのは大切だと思った。

ただ、主軸となる物語は平板なせいかあまり面白味がなくて、私立探偵小説(刑事が主人公だけど!)としてはあまり満足のいくものではなかった。どちらかというと、モブたちが語るご当地の逸話や、捜査の過程で出くわすサイドエピソードなどが面白かったかもしれない。たとえば、アズブルックで祭られている巨人ピエルララの伝説とか、あるいはアルジェリア戦争の虐殺が原因で神父をやめた男の話とか。また、当時の若者についてもちらっと触れていて、近頃の若者は不遇をかこっているのに反抗しないなどと言われている。こういう問題がこんな昔から、しかもフランスで出てくるとは思わなかった。いったい若者はいつから反抗しなくなったのだろう? 僕の世代も若い頃は上の世代から散々叩かれまくったけれど、一切反抗せずにそれを受け入れていた。今の若者も同様ではなかろうか。いずれにせよ、若者が反抗しなくなったのは世界的な傾向のようで、この風潮は悲しいことだと思う。

海外のミステリ小説を読んで驚くのが、警官が当たり前のように飲酒運転をしているところだ。バーで飲んだ後に車を運転して帰宅するなんてことはざらにある。僕がこのことを初めて意識したのはコリン・デクスターのモース主任警部シリーズ【Amazon】だった。このシリーズはイギリスが舞台である。一方、フランスが舞台の本作でも普通に警官が飲酒運転をしていて、欧米は日本と比べて道路交通法がゆるいんじゃないかという疑惑がある。同じことを日本の警官がやったらまず新聞沙汰になるだろう。と、このように外国の習慣を肌で感じとれるところが海外文学を読む楽しみのひとつである。