海外文学読書録

書評と感想

ディディエ・デナンクス『死は誰も忘れない』(1989)

★★★

1963年。14歳のリュシアン・リクアールが同級生に罵られた後、付近の池で死体で発見される。1987年。ジャーナリストのマルクが、第二次大戦中にレジスタンス活動をしていたジャン・リクアールにインタビューする。ジャンは戦後、無実の市民を対独協力者として殺害した罪で裁判にかけられていた。

カンブランは青年を睨みつけた。

「たとえ死の床にあったとしても、事情はなんら変わらんよ。当人だって、手紙を投函する前にゲシュタポに売る相手の歳を考慮したわけじゃあるまい? レジスタンスはおまえたちを対独協力と密告の罪で死刑判決を下した。壁のほうを向け」

彼は自分のピストルにちゃんと弾が装填されているかどうか確かめると、息子のルブルックに近づき、首筋に弾丸を撃ちこんだ。(p.93)

ロマン・ノワールとは文芸志向のハードボイルドのことだろうか。あらすじから察せられる通り、社会派っぽい要素も入っている。今回は戦時中のレジスタンスを題材にしているのだけど、これがまた彼らの微妙な立ち位置を表現していて興味深かった。同じフランス人でも親独と対独に分かれていて、戦後になってもわだかまりが残っている。レジスタンスは救国の英雄ではあるけれども、だからといって絶対無謬というわけではない。無実の市民を殺した場合は後で裁判にかけられてしまう。この辺はしっかり筋を通していて、愛国無罪にならないところが意外だった。

とはいえ、ナチスに協力していたら容赦なく殺すところはなかなかぎょっとするものがある。たとえ同じフランス人でも、裏切り者として無慈悲に処刑されるのだ。僕は戦争を知らない世代なので、戦時中の倫理についてあれこれ言う資格もないのだけど、それにしたって殺人はやりすぎだと思う。自分がもし当時の市民だったら、保身のためになりふり構わず行動していただろう。特高警察に入っていたかもしれないし、プロレタリアの闘士になっていたかもしれない。体制に脅されたらそれに従うし、レジスタンスに脅されたらそれに従う。政治信条よりも目下の安全を優先して行動する。それが人間というものではなかろうか。自分の命以上に価値のあるものなんてこの世に存在しないわけで、非常時における身の処し方は難しいと思う。

日頃から私怨があって、戦時のどさくさに紛れてそれを晴らすのはわりとありそう。たぶん平時よりも完全犯罪しやすいはずだ。それと、マルクがリシュアンの死の真相をジャンに教えることによって、ラストのカタストロフが起きるのは何とも言い難い読後感がある。相手は100歳の老人で、放っておいてもすぐ死ぬだけになおさらだ。本作は全体的にあっさりした叙述で、ロマン・ノワールとはこういうものかと得心した。現代作家だと、フェルディナント・フォン・シーラッハに似ている。