海外文学読書録

書評と感想

マーガレット・ミラー『まるで天使のような』(1962)

★★★★

博打打ちのクインはリノで有り金をすった挙げ句、車に乗せてくれた知人に山中に置いていかれる。クインは近くにある新興宗教の施設〈塔〉に助けを求め、そこの修道女に親切にしてもらう。そして、クインが私立探偵の免許を持っていること知った修道女に、オゴーマンという男の近況を探るよう依頼される。クインが町へ行って調べると、オゴーマンは5年前に行方不明になっていたことが分かった。

二人は外に出た。満月に近い月が、セコイアの木の間に低くかかっていた。空にはクインがいままで見たことがある夜空より何百も多く星が出ていた。そしてしばし足をとめて眺めているうちにもさらに数が増えてきた。

「空を見るのは初めてなの?」〈祝福の修道女〉が少しじれたようにいった。

「こんなのは初めてだ」

「いつも同じだけど」

「おれには違うものに見える」

修道女は心配そうな目でクインの顔を見あげた。「宗教的な経験をしているような気がする?」

「宇宙というのはすごいなと思ってるんです。それに意味をつけたいのならご自由に」(pp.37-38)

ジャンルで言えば、私立探偵小説になるだろうか。とても面白い構成のミステリだった。このジャンルの小説ってたいていは序盤で殺人が起きて、失踪人の謎から殺人の謎に切り替わるのだけど、本作の場合は終盤(残り1/4)でようやく殺人が起きる。序盤から続いた失踪人の謎は、殺人か失踪かで宙吊りになっていて、事実が確定するのは物語の最後だ。さらに、興味をそそるのが2つの異なる事件を並列させているところで、オゴーマンの事件とは別に銀行横領の事件が出てきて、両者が接近していく。そして、極めつけは世間から隔絶されている新興宗教〈塔〉の存在。〈塔〉の修道女はオゴーマンとどういう関係にあるのか? というのも大きな謎だし、この〈塔〉自体が浮世離れしていて不気味な存在感を醸し出している。本作は、失踪人の謎、銀行横領事件、新興宗教〈塔〉の三極が主な興味の対象になっていて、その絡み合いが面白い。

個人的にツボだったのは、残り1/4くらいのところで〈塔〉に新しい入信者が来た場面。ミステリの場合、終盤で新しい人物が出てきたら、それは既存の人物と深い関わりがあるだろうと疑う。たとえば、殺人の実行犯とか、誰かのなりすましとか。僕も「こいつは怪しいぞ」と注意を払っていたら、わずか6ページ後にその正体が明かされていて、見事に梯子を外された。もっと後まで引っ張るだろうと思っていたから。こんなに早く、しかも意外な形で正体を暴露するのだから苦笑するしかない。まんまとしてやられたのだった。

ラストで『狙った獣』【Amazon】ばりの狂気が出てくるところに著者の真骨頂を感じた。真相を明らかにするくだりは圧巻で、最後まで読んだ後にもう一度その部分に戻って読み返してしまった。特に「始末する」という言葉の選び方が巧妙。こういう綱渡り的な叙述もミステリの醍醐味だろう。読後、この人物はいつから狂っていたのだろう? と思いを馳せた。