海外文学読書録

書評と感想

アレクサンドル・プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』(1825-1832)

★★★★

サンクト・ペテルブルグの社交界で名を馳せていたエヴゲーニイ・オネーギンは、若くしてふさぎの虫に取り憑かれ、田舎の領地に隠遁する。レンスキイという若い詩人と知り合ったオネーギンは、2人で隣人のラーリン家を訪れるのだった。そして、そこの長女タチヤーナがオネーギンに恋をする。

さて、最近流行の化粧について読者諸君の好奇の眼を惹いたからには、今度は学識ある諸君に彼の身なりを描写しなければなるまい。もちろん、それは大それたことにちがいないが、描写こそ私の仕事なのだから。(p.11)

集英社版世界文学全集(木村浩訳)で読んだ。引用もそこから。なお、原文は韻文小説だが、本書では読みやすいように散文で訳されている。

筋書きはオーソドックスな恋愛小説だが、語り手がやたらと饒舌で、凡庸なストーリーを豊かな叙述で彩っていくところが読みどころだろう。こういう躍動する語りはいかにも昔の小説らしい。本作は随所に小ネタを仕込んでいて、たとえばちょくちょくロシアを小馬鹿にするところが可笑しかった。「だいたい、わがロシアでは学問といってもなにもかも上っ面をちょっぴり齧るだけのことではないか」とか、「ロシア人にとっては文明も高嶺の花で、ようやく身につけたものといっては気どりくらいなものだ」とか。また、ロシアの女性が母国語ではなくフランス語で恋文を書いていることも皮肉っている。この逆説的なロシア愛が何ともたまらないではないか。ともあれ、全体的に道化みたいな語り口が楽しくて、終始ウキウキしながらページを捲った。

ヒロインのタチヤーナは小説(ロマン)、とりわけリチャードソンとルソーの小説が好きなのだが、そんな彼女が夢見る乙女みたいな扱いになっていて、小説好きの僕としては複雑な気分になった。まあ、昔はそういう偏見があったとは仄聞していたから、大してダメージはない。ただ、現代日本でも小説好きの男は陰鬱で空想的な文学青年をイメージされてしまうので、なかなか人に自分の趣味を打ち明けられないでいる。むしろ、今ではアニメ好きのほうが市民権があるくらいだ。小説好きの僕は、肩身が狭い思いをしながら鬱々とした日々を送っている。

オネーギンは26歳にして、何に打ち込むこともなく無為に人生を過ごしている。当時は社交くらいしか娯楽がなかったから仕方がないのだろう。でも、オネーギンは一度物書きになろうとしてすぐに断念した過去があったし、また、読書もわりと嗜んでいるようである。社交以外にもすることはあったのだ。オネーギンを見ていると、情熱を傾ける対象が人間くらいしかないのは悲しいことだと思う。