海外文学読書録

書評と感想

村田沙耶香『生命式』(2019)

★★★

短編集。「生命式」、「素敵な素材」、「素晴らしい食卓」、「夏の夜の口付け」、「二人家族」、「大きな星の時間」、「ポチ」、「魔法のからだ」、「かぜのこいびと」、「パズル」、「街を食べる」、「孵化」の12編。

「中尾さん、美味しいかなあ」

「ちょっと固そうじゃない? 細いし、筋肉質だし」

「私、前に中尾さんくらいの体型の男の人食べたことあるけど、けっこう美味しかったよ。少し筋張ってるけど、舌触りはまろやかっていうか」

「そっかあ。男の人のほうが、いい出汁が出るっていうしね」(p.10)

以下、各短編について。

「生命式」。定年退職した職場の先輩が死んだ。後輩の「私」は同僚たちと生命式に出席する。それは故人の遺体をみんなで食べつつ、男女で受精する儀式だった。今の価値観が絶対ではないというのは僕も重々承知しているけれど、それをここまでドラスティックに表現しているのが著者らしい。特にディズニーランドのたとえは腑に落ちた。我々の世界は「夢の国」のようなもので、一人一人の嘘でできあがった蜃気楼なのだ。いわゆる共同幻想ってやつ。身近な例だと、今は覚醒剤の使用が犯罪になっているけれど、30年後には合法化されて、酒を飲むようにみんなで注射しているかもしれない。価値観は時と共に変わっていく。かつて異常だったものが正常になる。それもこれも我々の社会が共同幻想で成り立っているからで、現在の倫理に根拠がないことを本作は突きつけてくる。

「素敵な素材」。「私」は100%人毛でできたセーターを気に入っていたが、婚約者のナオキはそれを嫌っていた。それどころか、彼はこの社会で蔓延している人体を使った道具が嫌いなのだという。理由は死の冒涜だとか残酷だとか。たいていの読者はナオキに同調するだろうけど、本作では彼の価値観が少数派になっている。確かにまあ、織田信長が髑髏の杯で酒を飲んだとか、インディアンが白人の頭骨を収集していたとか、人体を物質として扱うのは変な感じだ。僕もナオキ側の人間だけど、しかし、当のナオキはあることがきっかけで価値観を揺さぶられてしまう。自分の価値観を元にして他人を裁くのは本当に正しいのか。そういうことをふと思ったのだった。

「素晴らしい食卓」。既婚女性の「私」には結婚適齢期の妹がいたが、彼女は魔界都市ドゥンディラスから来たという厨二病だった。そんな妹が彼氏の両親に料理を振る舞う。本作の例は極端だけど、確かに他人の家の料理は多かれ少なかれグロテスクに見える。僕も幼稚園の頃、友達の家でカレーライスをご馳走になったことがあるけれど、その味が自分の家のものと全然違っていて衝撃を受けた。しかしその反面、小学校に上がってから食べた給食のカレーライスはとてもしっくりきたのだ。これはつまり、個人的なものと公共的なものの違いなのだろう。前者が家庭料理で後者がお店の料理、みたいな。ともあれ、異なる文化のすり合わせは大変だ。

「夏の夜の口付け」。3ページの掌編。75歳の芳子はキスもセックスもしたことがない。亡くなった夫とは人工授精で子供を作った。一方、同い年の菊江は未婚ながら今でも若い男たちと性生活を楽しんでいる。どちらも現代の価値観からしたら「異常」なのだけど、文字で読むとそんなに気にならない。でも、映像化したらかなりきつそう。そういう偏見が僕にはある。

「二人家族」。70歳の芳子と菊江は40年間同居生活をしていた。2人は人工授精で3人の子供をもうけている。菊江は癌で入院しており……。「普通の人」とは何かと言ったらそれはマジョリティで、マジョリティであることほどつまらないものはないのだ。コンテンツになるのはいつだってマイノリティである。

「大きな星の時間」。3ページの掌編。女の子がパパに連れられてやって来た国では、誰も眠らなかった。昼や夜を別の言葉で言い換えることで、「夜にならない」と主張するのがいい。あと、「眠る」の代替に「気絶」があるところも。童話のような世界観にこういうエキセントリックな要素をぶっ込んでくる。

「ポチ」。「私」とユキは裏山でポチという名のペットを飼っていた。ポチの正体が分かった時は思わず笑ってしまった。KKOって一周回って可愛いからな。そのことは『ピクセル』の項で書いた。これを映像化したら面白いと思う。

「魔法のからだ」。中学2年生の瑠璃は同級生の志穂と仲が良かった。瑠璃は高校生みたいな体型だったが、志穂は小学生みたいな体型をしている。しかし、志穂にはセックス経験があった。志穂の純粋で強い自我に圧倒された。このくらいの年代だと周りに流されがちだけど、彼女は我が道を行っている。自分に正直であるとはこういうことを言うのだろう。

「かぜのこいびと」。奈緒子が小学1年生のとき、風太は部屋に吊り下げられた。その後、高校生になった奈緒子が家に彼氏を連れてくる。これは美しい短編で、物事が収まるべきところに収まった感がある。余計な感想は付け加えたくない。ただただ美しい。

「パズル」。OLの早苗はやさしくて後輩から慕われていた。彼女は満員電車で人間浴をするのが好きで……。人間を内臓や体液を備えた生命体だと認識してるのって医者やサイコパスみたい。そのくせ自分のことは生命体だと思ってない。だからこそ、他人にそういうフェティシズムがわくのだろう。『燃えよ剣』【Amazon】の土方歳三は人間のことを糞袋と言っていたけれど、それは本作の早苗に近い認識かもしれない。

「街を食べる」。都会でOLをしている「私」は、ここで売られている野菜が食べられなかった。その代わり、田舎から送られた野菜は食べられる。あるとき、「私」は会社の近くで蒲公英を採取して料理する。都会は人が多くて人間らしい生活を送れない。しかし、それでも人はやんごとなき理由で都会に定住しようとする。都会の環境はだいたい劣悪で、発狂するのも無理はない。

「孵化」。結婚が間近に迫ったハルカは、学生時代からそれぞれのステージで違ったキャラを演じていた。だいぶ前に「現代人はキャラ化している」という論説をどこかで読んだけれど、それを地で行くような話で興味深かった。「好かれよう」「溶け込もう」と思ってキャラを演じるという。自分のことを振り返ると、学生時代から現在までありのまま生きてきたから、とにかく色々な人間に嫌われてきた。喜怒哀楽を包み隠さず表現しているせいか、現実でもネットでも嫌われ者である。でも、だからと言って後悔したことはない。たとえ一人ぼっちになったとしても自分を偽らずに生きる。そうすることが健康にいいと思っている。