海外文学読書録

書評と感想

今村昌平『復讐するは我にあり』(1979/日)

★★★

北九州。クリスチャンの榎津巌(緒形拳)が、専売公社の集金係2名を殺害して逃走する。彼には妻(倍賞美津子)と父(三國連太郎)がおり、この2人は禁断の関係に陥りつつあった。榎津は浜松で大学教授になりすまして投宿、宿屋の女将(小川真由美)と愛人関係になる。やがて指名手配を受けて正体がバレるが……。

原作は佐木隆三の同名小説【Amazon】。

サイコパスを描いた映画だけど、撮影当時にそういう認識があったのかは分からない。そもそも、サイコパスって概念はいつから登場したのだろう?

この映画はいくつか面白いところがあって、そのひとつが、人殺しがバレたのに宿屋の女将が通報せず、むしろ匿ってさえいるところだ。男性のサイコパスに恋して彼の逃亡を幇助したという話はたまに聞くけれど、本作でもそんな状況になっている。正直、「人殺し」というマイナス要素が、「愛」というプラス要素で打ち消されるのは驚くほかない。けれども、ものの本によるとサイコパスは一般人より魅力的らしいので、こういうこともあり得るようである。

最近、暴力的な男性は女性にモテるという主張がネットで話題になった。真偽のほどは分からないけれど、思考実験としては興味深いテーマだと思う。というのも、暴力的な男性が女性にモテるのは、そこに共依存が発生している可能性があるからだ。暴力を振るう男性に対し、女性が「わたしが見捨てたら彼は生きていけない」と使命感を持ち、泥沼の関係に陥っていく。本作で女将が榎津を匿ったのも、そういう心理が働いたからだろう。わたしが守らなければ彼は死刑になってしまう。彼を救えるのはわたしだけだ。私的な同情心が、公的な道徳心を吹き飛ばしている。我々は理性に従って生きているようで、実はそうではない。感情という羅針盤を頼りに日々を送っている。

もうひとつ面白いのが、榎津の妻が舅に恋しているところだ。この情欲を中心に榎津親子が対比的に描かれている。親子はどちらもクリスチャンだけど、父は律儀にそれを守って禁欲に向かう。一方、息子はそれを破ってひたすら色に狂う。息子が人を殺しながら逃避行を繰り広げたのも、それによって自由を得られるからで、彼は親から押しつけられた規範に反抗したかった。その反抗心は根深く、戦時中の少年時代、父が軍人のなすがまま船を供出したときまで遡っている。あそこで情けない父の姿を見たのが、その後の人生を決定づけたのだ。本作は親子二代にわたる業の物語と言えるかもしれない。

倍賞美津子小川真由美のヌードが見れたのは眼福だった。僕も倍賞美津子みたいな媳婦に温泉で背中を流してもらいたい……。