海外文学読書録

書評と感想

ポン・ジュノ『殺人の追憶』(2003/韓国)

★★★★★

1986年。農村地帯で連続して女性の緊縛された遺体が発見され、地元警察のパク刑事(ソン・ガンホ)らが捜査にあたる。やがてソウルからソ刑事(キム・サンギョン)も応援に駆けつけてきた。地元のパク刑事らは逮捕した被疑者を拷問し、証拠を捏造して犯人に仕立てるも失敗。ソ刑事はそんな彼らと反目しながら鋭い推理をする。

刑事ものとしてはツッコミどころが多く、かなり雑で粗い内容だけど、そんな欠点を吹き飛ばすほど迫力のある映画だった。良くも悪くもハリウッドでは作れなさそうだし、ここまで粗いと向こうでは評価されなさそう。洗練とは程遠いとてもすごい映画を観てしまった。これぞ韓国、これぞアジアである。

被疑者を拷問して自白を強要し、証拠を捏造して無理やり犯人にでっち上げる。このやり口が日本の警察と大差なくて驚いた。こういうのって万国共通なのだろうか? 僕は本作を観ながら足利事件を連想していた。あの事件でも本作のような強引な取調べが行われていたのだろう。冤罪とはこのようにして作られる。その典型例をあっけらかんと描いていて、最初は戸惑いながら観ていた。

しかし、この描写が終盤で生きてくるのだから巧妙である。冤罪も厭わないパク刑事らのスタンスは、事件さえ解決すれば真実なんてどうでもいいというものだ。そこには一時的な秩序の回復、その場しのぎの解決しか考えてない。ある意味では強硬な現実逃避とも言える。ソ刑事はそんな彼らとは一線を画し、真実の追求を目指していた。たびたびパク刑事らの間違いを指摘し、捜査を振り出しに戻してきた。パク刑事らが感情担当だとすれば、ソ刑事は理性担当と言えるだろう。

ところが、終盤になってその図式が脆くも崩れてしまう。理性的だったソ刑事が感情に流され、被疑者を犯人と決めつけて強引な取調べに及んでしまう。そして、挙句の果てには拳銃を持ち出し、無実と分かった被疑者に発砲までするのだった。決定的な証拠を掴んだと思っていたら違っていた。犯人の尻尾を掴んだと思っていたらすり抜けてしまった。そのどうしようも焦燥感がソ刑事の変貌によく表れていて、なぜ警察が冤罪を恐れずに犯人をでっちあげるのか、その動機が透けて見えるようになっている。序盤から続いた図式の転換が見事だった。

2003年の様子を映したエピローグも余韻があっていい。観ていてやるせなさを感じる。また、本作は軍事政権下の韓国、とりわけ貧しい農村をカラーで見れるところもポイントだろう。フィクションとは、時に細かい辻褄合わせなんかどうでもよく、それを超える何かを焼きつけていれば傑作になる。本作はそのことを力強く示していた。