海外文学読書録

書評と感想

スティーヴン・スピルバーグ『ミュンヘン』(2005/米)

★★★★

ミュンヘンオリンピックの最中、パレスチナの過激派組織「黒い九月」によってイスラエル選手団が殺害された。イスラエル政府はその報復をすることに。モサドのアヴナー(エリック・バナ)をリーダーとし、ヨーロッパに潜伏する11人のテロ関係者の暗殺を命じる。アヴナーはスティーヴ(ダニエル・クレイグ)、ロバート(マチュー・カソヴィッツ)、カール(キアラン・ハインズ)、ハンス(ハンス・ツィッシュラー)らとミッションに挑む。

公開当時のアメリカが「テロとの戦い」に躍起になっていたことを考えると、本作のような映画はますます価値が上がるのではなかろうか。というのも、本作でイスラエルがやっていることは公開当時のアメリカがやっていることと大差ないのだ。だからイスラエルを批判的に描くことは、「テロとの戦い」に邁進していたアメリカを批判することに繋がる。ミュンヘンオリンピック事件の報復をするイスラエルと、アメリカ同時多発テロ事件の報復をするアメリカ。相似形の両国は外交的に蜜月の関係にあり、2024年現在も「テロとの戦い」で協力している。昨年、ハマスによってイスラエルへの越境攻撃が仕掛けられた。それを受けたイスラエル軍は報復としてガザへの侵攻を開始する。圧倒的な軍事力を誇るイスラエル軍はガザを破壊して回り、パレスチナ人を虐殺することになった。それは現在も続いている。「テロとの戦い」とは憎しみと憎しみのぶつかり合いであり、終わらない報復の連鎖である。その不毛を描ききったスピルバーグはやはり並の監督ではなかった。

PLOとセーフハウスを共有したときのエピソードが面白い。ここではパレスチナ人によって国のない民族の悲しみが語られる。アヴナーはイスラエルに固執せず、アラブ諸国のどこかに住めばいいとやんわり諭す。しかし、それはイスラエル建国以前のユダヤ人にも刺さる言葉なのだ。イスラエルは第二次世界大戦終結後、棚ぼた的に国を持つことができた。国際世論の同情によって土地を与えられた。それ以前は世界中に散らばって生活していたのだ。ところが、ユダヤ人が得た土地は元々パレスチナ人が住んでいた土地で、彼らはユダヤ人の代わりに国を失ったのである。かつてピューリタンがネイティブアメリカンから土地を奪ったように、ユダヤ人もパレスチナ人から土地を奪った。ここでもアメリカとイスラエルは相似形を成している。他人の土地を盗んだ国家によって、被害者が主権を回復しようとする試みはすべてテロに貶められてしまう。主権と主権のせめぎ合い。アメリカもイスラエルも自分たちの罪を糾弾してくるテロリストは容認できないのである。

アヴナーは仕事を続けていくうちに焦燥していき、終わった後は精神的に壊れてしまう。自分は誰かに狙われていると疑心暗鬼になるのだ。それだけ「テロとの戦い」はトラウマだったのだろう。戦いは一人の人間を英雄に祭り上げるが、当の英雄は人間性を失って廃人になっている。たとえ大義名分があったとしても、人を殺して平然としていられる人間など滅多にいない。本作は「テロとの戦い」の行き着く先を示しているところが良かった。

スパイ戦は仁義なき戦いで、本作ではギャング映画のような血みどろの殺害シーンが頻出する。ルイ(マチュー・アマルリック)の組織が家族主義で運営されているところが象徴的で、彼らはまるでマフィアのようだ。こういう既存のジャンルの読み替えも本作の見所だろう。暴力描写が一級品で面白かった。