海外文学読書録

書評と感想

フランソワ・トリュフォー『終電車』(1980/仏)

終電車(字幕版)

終電車(字幕版)

  • カトリーヌ・ドヌーヴ
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★★★

ナチス占領下のパリ。女優・マリオン(カトリーヌ・ドヌーヴ)は夫・ルカ(ハインツ・ベネント)に代わってモンマルトル劇場を差配している。ルカは演出家と支配人を兼任していたが、ユダヤ人のため身を隠さなければならなかった。表向きは国外逃亡したことになっているが、実際は劇場の地下に潜んでいる。そんななか、劇団はマリオンの相手役としてベルナール(ジェラール・ドパルデュー)を採用する。

いかにも巨匠が撮りそうな映画を巨匠がきっちり撮っている。そういう意味ではちょっと退屈だったかもしれない。ただ、自国の歴史に目を向けるのも長いキャリアを持つ監督には必要なのだろう。映像は全体的に高級そうだが、それはほとんどが屋内のシーンで構成されているからだ。歴史ものだからロケ撮りは手間がかかるし、フランス映画の予算で説得力のある風景を作るのも難しい。室内劇だからこそ、ナチス占領下のパリという前提が信じられる。本作は劇場という舞台設定が思った以上に効いていた。劇場だからこそ古典的な作風にマッチしているし、劇場だからこそ劇中劇も違和感なく挿入できる。そして、ドアから外を覗くショットやベッドで抱き合う姿を鏡越しに捉えたショットなど、定番のショットを散りばめているところも巨匠らしい。ここまで来ると古典の模倣に思えてくる。

地上で生活しているマリオンと地下で生活しているルカのすれ違いは、一歩間違えると『アンダーグラウンド』になりかねない。本作はそこまで悪意はなかったものの、しかし心理的なすれ違いは確実に生じている。これは互いの情報や体験の格差によるもので、ある程度は仕方がないのだろう。方や地上でナチスの追求をかわしながら劇を成功させようとするマリオン。方や地下に潜伏して地上の成功を待っているルカ。2人は夫婦だからより密な協力関係を築いているが、それでも限界がある。普通に生活していても夫婦はすれ違うのに、ましてこのように分断された状況なら尚更なのだ。マリオンとルカの関係は、フランスにおける一般的な夫婦関係を拡大させたもので普遍性がある。つまり、地上と地下の分断は2人の関係を拡大するためのツールになっている。本作は特殊なシチュエーションを用いて男女の綾にスポットを当てている。

こういう映画に出てくる批評家がたいてい悪役なのは、作り手にとって批評家が煙たい存在だからだろう。もちろん、観客にとっても偉そうで好感の持てない存在である。批評家も人間だから政治的な立場で作品を裁断するし、時には保身のため褒めるべきか貶すべきかを作品の価値とは別次元で判断している。つまり、彼らの批評はフェアネスから程遠いのだ。本作に出てくる批評家(ジャン=ルイ・リシャール)はそのカリカチュアである。新聞の穴埋めをするしか能がないくせに自分こそが花形プレイヤーだと思い込んでいる。本作は批評家という職業の滑稽さを浮き彫りにしている。

印象に残っているシーン。占領軍の本部で階段を登るマリオンと向かいの階段を降りる女が視線を交錯させる。その攻防を切り返しで表現しているところが光っていた。逆にゲシュタポが劇場の地下室を見たいと言ってマリオンがそれに対処するシーンは淡白である。見せ方によってはもっとスリリングにできただろう。そこはハリウッドの文法と異なっていた。