海外文学読書録

書評と感想

黒沢清『ニンゲン合格』(1999/日)

ニンゲン合格

★★★

吉井豊(西島秀俊)は14歳のとき交通事故に遭って以来10年間昏睡状態だったが、突然病院のベッドで目覚める。彼を出迎えてくれたのは父の友人・藤森(役所広司)だった。10年の間に一家は離散し、吉井家の土地は藤森が借りて釣り堀と産業廃棄物の不法投棄を行っている。父・真一郎(菅田俊)、妹・千鶴(麻生久美子)、母・幸子(りりィ)と別個に会った豊は、やがてポニー牧場を再建する。

浦島太郎状態の豊が世界に自分の存在をねじ込み、ポニー牧場という生きた証を作り、そのすべてを壊して死んでいく。10年間昏睡状態だった豊にとっておそらく夢と現実の境界は曖昧で、だからこそ自分が存在したかどうかが気になるのだろう。一度死んで生き返ってまた死ぬ。そういったプロセスの中には家族との微妙な関係が含まれている。目が覚めたら一家が離散していたというのは過酷な現実だが、それを冷静に受け止めたのは彼が夢現の状態にあったからだ。人は悲惨な事件や事故、あるいは大きなトラブルに巻き込まされた際、一時的に現実感を喪失する。豊もその状態にあった。目覚めてからの彼の人生は、人生のアディショナルタイムという感じがする。

家族についてはシニカルな見方をしていて、一家離散の理由を頑なに明かさないし、母以外は何で生計を立てているのかも分からない。豊もそれを知ろうとしないのだからへんてこだ。唯一分かっている母はアパレル店舗で働いている。常識があって豊に対してやさしい。極めてまっとうな人物だ。一方、父は世界中を旅しているようだが、それが何の目的なのか分からない(終盤で明かされる)。職業も不詳だ。極めつけは豊を藤森に押しつけようとするところで、自分の息子を赤の他人に面倒見させるなんて無責任に程がある。こいつは母とは対照的に非常識だ。また、妹も曲者である。アメリカに留学しているはずだったが、すぐに舞い戻って現在は加崎(哀川翔)と暮らしている。この2人も何で生計を立てているのか分からない。加崎は金がないと言っているが、そのくせ高そうなスポーツカーに乗っている。妹は実家の土地を売って金を得ようと豊に持ちかけるのだった。本作は登場人物や家族関係を一切掘り下げないところが不気味で、見ているほうとしては居心地の悪さを感じる。

家族の再生にはあまり重きを置いてないようで、一家が揃うのは豊の棺桶が運ばれるときだけだ。豊が生きているうちは全員揃わない。食卓も母と妹がやってきて一緒に囲むも、その様子は外から覗き込むようにして映される。そもそもポニー牧場の再建は実質的に吉井家の再建のはずだが、豊は好きで牧場を再建してるだけであって、家族の再建には興味なさそうである。あくまで各人の自由意志を尊重している。しかし、それこそが家族の理想のあり方なのだろう。何となく集まって何となく離れていく。誰も家や家族に縛られない。一家離散というと悲惨なイメージだが、実際は各人がそれぞれ自由に暮らしている。本作は家族という既成概念を解体したところが面白い。

なぜか豊の面倒を見てくれる藤森。自分のことを「目障り」と規定している自己肯定感の低い加崎。そして、豊に加害しながらも鬱屈した被害者感情を抱いている室田(大杉漣)。本作は登場人物のへんてこさが際立っていた。