★★★★
鎌倉。間宮家の長女・紀子(原節子)は東京でOLをしている28歳の独身女性。彼女は実家暮らしをしていた。実家には、父・周吉(菅井一郎)、母・志げ(東山千栄子)、長男・康一(笠智衆)、その妻・史子(三宅邦子)、そして長男夫婦の子供2人がいる。紀子は学生時代の親友・田村アヤ(淡島千景)と日頃から交際していた。また、一家の関連人物に矢部謙吉(二本柳寛)がおり、彼は戦死した次男の友人である。ある日、紀子の元に見合い話が舞い込んできて……。
『晩春』に比べると登場人物が多くて画面がうざったい。特に狭い和室に6人も詰め込んでいるショットは見るに堪えなかった。しかし、戦後の家父長制家族を存分に堪能できたのは収穫で、劇中では長男の康一が家長として威厳を振りまいている。こういう家族は現代日本には存在しないので貴重だ。失われた日本の風景がここにある。
康一のすごいところはナチュナルに男尊女卑なところだ。彼は言う。「終戦後、女は図々しくなった」と。そして、続けて紀子に言い放つ。「図々しいからお嫁に行けないんだ」と。天晴、これが戦後の日本男児である。当時は三島由紀夫や石原慎太郎みたいなのは珍しくなかったのだ。それどころか、これが主流だった可能性すらある。現代を生きる去勢された男性(我々のことである)からするとあまりに眩しい。今こんなことを言ったら総スカンを食うわけで、失われた日本の風景がここにある。
結婚話もなかなかきつくて、28歳の紀子のお相手は42歳のおじさんである。しかも、相手は妻に先立たれており、既に子供を抱えていた。要はおじさんの後妻になるということだ。いくら売れ残りでもこれは酷いだろう。紀子ほど美人で家柄も良ければ、たとえ28歳でももっと好物件を掴めたはず。それがよりによって42歳の子持ちである。しかも、相手は秋田に転勤することが決まっていた。もし結婚したら田舎暮らしは確定だ。紀子みたいなシティガールが田舎に行ったら、地元民にいじめ倒されることは必定である。とてもじゃないが田舎の陰湿な人間関係に馴染めるとは思えない。42歳、コブ付き、田舎暮らし。客観的に見てかなりの悪条件だが、しかし、紀子は彼との結婚を決めている。
戦死した兄の友人と結婚する。これって友人を通して兄と近親相姦することではないか。紀子は女子会に参加した際、既婚女性から「結婚してみないと人間の幸福は分からない」と言われる。その後、紀子は謙吉との結婚に幸福を見出した。昔からよく知っていて安心感がある、というのがその理由である。家族以外で兄を一番よく知っているのが謙吉であり、紀子は謙吉に兄の残照を期待している。謙吉と結婚することは亡き兄と結婚すること。紀子が下した決断には近親相姦の欲望がある。
謙吉が『チボー家の人々』【Amazon】を読んでいる。日本では1922年に翻訳が始まり、戦争による中断を経て1952年に完結したらしい。これはこれで戦後を象徴する出来事だと言えよう。また、紀子の上司・佐竹(佐野周二)がアヤにセクハラをしている。これがまたほのぼのとした描写になっていて、セクハラとはコミュニケーションの潤滑剤ではないかと思えてきた。失われた日本の風景がここにある。
本作は海のショットから始まるが、終盤にそれを活かしたシーンがあって良かった(紀子と史子が浜辺をそぞろ歩くシーン)。とても美しい。