★★★★
1941年4月。ベオグラードがナチスによって爆撃される。パルチザンのマルコ(ミキ・マノイロヴィッチ)は、電気工のクロ(ラザル・リストフスキー)らと地下室に避難するのだった。マルコは仲間たちに武器の密造をさせる。マルコとクロは女優のナタリア(ミリャナ・ヤコヴィッチ)をナチス将校から救うも、色々あってクロが負傷してしまう。クロは地下室で療養することに。やがて戦争が終結。マルコは地下室の住人に「まだ戦争は続いている」と嘘をつき、彼らを幽閉したまま武器を作らせる。
20世紀文学を映画でやったような感じ。パルチザンのマルコは人を食った風の香具師であり、物語はマジックリアリズムを彷彿とさせる突拍子もない展開を見せる。さらに、半世紀に及ぶ壮大なスケールで国家や個人を捉えていて、大きな物語と小さな物語を接続させている。喜劇的かつ狂騒的な雰囲気も20世紀文学の王道だ。こういう作品っておそらく『ブリキの太鼓』【Amazon】を先祖としているのだろう。『ブリキの太鼓』は1959年の小説である。まさか原作なしの映画で典型的な20世紀文学を見ることになるとは思わなかった。
マルコとクロは親友であるものの油断ならない関係で、ナタリアを巡ってはいつ何が起こるか分からない緊張状態にある。男同士の友情も女が絡むと簡単に崩壊してしまう、そういう危険性を孕んでいるのだ。実際、マルコはクロを含めた仲間たちを自らのエゴで15年も地下に幽閉している。その間、自分はナタリアと結婚し、さらにチトー政権では英雄扱いされていた。幽閉された連中は何をやっているのかというと、ナチスとの戦争が続いていると信じてひたすら武器を製造している。傍から見ると酷い状況だが、マルコは上手く連中を騙していた。地下では何も知らない住人たちが派手にどんちゃん騒ぎをしている。地上と地下を行き来するのはマルコとナタリアのみ。マルコは何食わぬ顔で地下から富と栄光を吸い上げている。本作はこういった欺瞞が喜劇的色彩で描かれていて、いかにも20世紀文学っぽい様相を呈している。
物語は三章構成になっていて、第一章は第二次世界大戦、第二章は冷戦(チトー政権期)、第三章はユーゴスラビア内戦を背景にしている。こうやって巨視的な視点で見ると、皮肉にも第二次世界大戦での結果が現代において逆転しているのが分かって興味深い。敗戦国だったドイツは復興を遂げて経済大国になっているのに、戦勝国だったユーゴスラビアは内戦によって国家が消滅している。東西に分裂していたドイツは統合を果たしているのに、ユーゴスラビアは複数の国家に分かれてしまった。ドイツとユーゴスラビアの対称的な歩みはまさに歴史の皮肉である。負け組が勝ち組へ。そして、勝ち組が負け組へ。国家も個人も何が起こるか分からない。
ラストがなかなか振るっていて、あの幻影はボタンのかけ違いさえなければみんなハッピーになったことを示唆しているのだろう。そのかけ違いを起こした原因は戦争であり、そこに個人の欲望が上手い具合にはまってしまった。社会的な過ちと個人的な過ちが重なって取り返しのつかない悲劇を引き起こしている。本作はあり得なかった結末をやけくそ気味な狂騒で締めくくるところが最高で、これぞ20世紀文学だと思う。