海外文学読書録

書評と感想

ウェス・アンダーソン『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014/米=独)

★★★

中欧の国ズブロフカ共和国。1932年、移民の少年ゼロ(トニー・レヴォロリ)がグランド・ブダペスト・ホテルのボーイとして働く。彼はコンシェルジュのグスタヴ(レイフ・ファインズ)の従者になるのだった。グスタヴには懇意にしていた老女マダム・D(ティルダ・スウィントン)がいたが、彼女は突然亡くってしまう。遺産として高価な絵画を受け取る予定だったが、遺族はそれが気に入らない。グスタヴは殺人の濡れ衣を着せられてしまう。

おもちゃ箱みたいな世界観は魅力的だったが、終わってみれば小洒落た小品といった感じ。良くも悪くも現代の映画で、個人的に現代の映画は映像が肌に合わないのだった。デジタル技術によって構成された映像美はまやかしの映像美で、そこには常に嘘臭さが付きまとう。本作は敢えてその嘘臭さを強調しているのである。なぜそうしているのかというと、グランド・ブダペスト・ホテルが在りし日の幻として設定されているからだ。ゼロの物語は遠い過去の出来事である。かつて栄華を誇ったグランド・ブダペスト・ホテルも今や見る影もない。そういった追憶の意識が映像の嘘臭さに繋がっている。この辺は好き好きだろうが、僕は好きではない。現代の映画に映像美を求めることほど愚かなことはないと痛感した。

物語はどこかで見たようなファンタスティックなおとぎ話で、アメリカのトールテールっぽい雰囲気がある。見ていて21世紀のアメリカ文学を連想したほどだ。具体的に何かに似ているわけではないが、作品を貫くマインドがそれっぽい。映画にしてはかなり饒舌である。モノローグもセリフも映像も過剰さで満ち溢れているのだ。このような過剰な語りが本作の魅力になっていることは間違いない。監督は本当は小説を書きたかったのではないか、と疑うほど饒舌である。そして、その語りは悲劇を喜劇に作り変える。物語はファシスト政権が台頭して人死が出て殺人の濡れ衣を着せられるというものだが、総じてあまり緊迫感がない。終始軽やかに進んでいく。だからこそ最後の転調にほろりとくるわけだが、それも含めてデジタル技術による手工業的な小品に収まっている。目の前にあるのは徹底的に作り込まれたテーマパーク。そこが物足りないと言えば物足りない。

作中に出てくるファシスト政権はおそらくナチス・ドイツがモデルだが、本作は1930年代のおいしい部分だけ頂いたような感じである。戦争への足音が聞こえてくる時代。グランド・ブダペスト・ホテルがある中欧もきな臭くなってきた。過去の追憶を描くにあたってその背景だけ欲しかったのだろう。アジア系の戦争難民はいてもユダヤ人はいない。従ってユダヤ人への迫害も存在しない。そうやって歴史の都合のいいところだけ切り取ったのは賛否両論ありそうだが、特に問題視されてないのでこれはこれでありなのだろう。あくまで架空の国、架空のヨーロッパである。こういうところが言い訳じみていていくぶんもやもやするものがあった。

本作はディズニー映画がCGでやったことを実写でやったような映画である。おもちゃ箱みたいな世界観は確かに魅力的だった。