海外文学読書録

書評と感想

フランソワ・トリュフォー『恋のエチュード』(1971/仏)

★★★★

19世紀末のパリ。母親の元で暮らす青年クロード(ジャン=ピエール・レオ)の元にブラウン家の娘アン(キカ・マーカム)がやってくる。アンは夏の休暇にイギリスに来るようクロードを誘うのだった。渡英して海辺のブラウン邸を訪問するクロード。そこにはアンの妹ミュリエル(ステーシー・テンデター)がいた。クロードは姉妹の両方を好きになるが、結局はミュリエルに結婚を申し込むことになる。ところが、諸々の事情から1年間離れて暮らして様子を見ることなった。

原作はアンリ=ピエール・ロシェ"Deux Anglaises et le continent"【Amazon】。

20世紀前半のヨーロッパ文学みたいな味わいがあった(原作は1958年発表)。イギリス人のピューリタン的な生活とフランス人の自由主義的な恋愛をバッティングさせ、複雑な三角関係を織りなしている。ヒロインの1人が結核で死ぬところは文学ファンへの目配せだろう。言うまでもなく、結核ロマン主義時代から続く旧時代の文学的ガジェットである。本作は古き良きテンプレートをこれでもかとなぞっていて、文学ファンとしてはつい高評価してしまう。

序盤ではイギリス人とフランス人の違いについて語られるのだが、個人的にはフランス人の気質が面白かった。フランス人にとって真の愛は肉体の愛らしい。要はセックスすることが愛情表現のようだ。ろくに避妊具のない時代にこれは危険すぎるが、しかし、いかにもフランス人らしい価値観で笑える。本作のクロードも目先の欲望に忠実だった。また、フランス人はみな自殺を考えるという。クロードも15歳の頃に考えていたようだ。フランス人の明るい気質の裏側にはこのような暗い気質も隠れていてなかなか意外だ。確かにフランス人は哲学や芸術が大好物である。そういう連中は得てして自殺と距離が近い。快楽主義と憂鬱症が同居しているところがフランス人の魅力だろう。

恋愛において自由を尊重することは正しいのだろうか。クロードとアンは実質的に恋人みたいな関係だったが、アンのほうは別の男といい関係になっている。クロードはそれに介入しない。内心ではいい気はしてないものの、アンの自由を尊重している。これはこれで立派な態度だが、しかし、恋愛とはある程度束縛されないと愛されてる実感が湧かないのではないか。自他の境界を可能な限り曖昧にするのが恋愛の醍醐味なわけで、不自由さを受け入れることも必要だろう。自由を貫くと感情の整理がつかない。クロードとアンの放任主義は理解し難かった。

クロードは出会って7年目でミュリエルを抱く。このときミュリエルは30歳。処女だった。ミュリエルは「愛を知った」と喜んでいるが、そもそもここまで初体験が遅れたのもクロードが裏切ったからで、そんな喜んでいいのかと思う。しかも、クロードは姉妹の両方と肉体関係を結んだのだった。三角関係の顛末としてはどろどろしている。しかし、こういうのも文学ではよくあることで、現実ではありそうもないことを仮想体験として示している。いかにも昔の文学という趣だった。

映像表現としてはアイリスアウトの多用が特徴的である。現代の映画ではあまり見かけない。こういうのもレトロ映画の醍醐味だろう。