海外文学読書録

書評と感想

イワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』(1859)

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)

 

★★★

30代の貴族オブローモフは、ゴローホヴァヤ街の借家で使用人のザハールと暮らしていた。ある日、オブローモフの元に次々と客が訪れるも、彼はベッドから降りることもなく応対する。やがて同い年の友人シュトルツがやってきて、オブローモフを外に連れ出す。知的な少女オリガと出会ったオブローモフは彼女に惹かれるが……。

オブローモフは吐息をついた。

「ああ、生活か!」と彼は言った。

「生活がどうしたんだい?」

「生活がどこまでも追っかけてくる、ゆっくりする暇もありゃしない! ぼくは横になって眠りたいんだけど……永久にさ……」(下 p.38)

高等遊民というか、ニートというか、とにかくそういう職に就いてない地主階級を主人公にしている。面白いのは、彼がそこらのニートと違ってあまり活動的ではないところだ。オブローモフの人生観は、あくせくと苦労することもなく、人間としての品位と安静を保ったまま寝そべっていること、それこそが幸せのようで、本作も序盤(第一編)はほとんどベッドの上で過ごしている。平穏な生活を望むオブローモフは、社交界や一般社会に属している人間を死人として軽蔑しているのだった。第一編は文庫本で300頁ほどあるけれど、その間、彼は部屋から一歩も外に出ない。来客をベッドの上で捌きつつ、合間に居眠りをして理想郷の夢を見ている。まさに怠惰を象徴した人物と言えよう。

しかし、そんなオブローモフも、運命の少女オリガと出会うことで情熱に火がつく。だらけた世捨て人でも、恋をするとそれに夢中になるところが面白い。彼の行動にはロマン主義の気配を感じるけれど、おそらく大抵の人間はこんな感じなのだろう。いくら孤独で安楽な生活を好んでいても、降って湧いた恋愛感情には敵わない。人間が他の人間に惹かれる。それこそが我々の本能なのだ。恋愛なんて面倒くさいという風潮は、娯楽に溢れた現代ならではのものに違いない。近代と現代、どちらの社会が幸福なのかは分からないけれど、少なくとも当時はロマン主義が支配的であることは分かった。ただ寝そべってるだけの人間でも恋に焦がれるのである。

オブローモフの恋愛は迷いに迷って常にブレーキを踏んでいる感じで、臆病な運転手そのものである。彼は潔白な心を持っているものの、世渡りは下手なのだ。それを証明するかのように、終盤では顔見知りから詐欺られそうになっている。オブローモフは良くも悪くも旧来的な「旦那」であり、自立して生きていくだけの才覚はない。無能ではないものの、生活をしていく能力に欠けているのだ。これこそが現代のニートにも通じる人間の本質といった感じで、どこか親近感が湧いてしまう。生活するにも向き不向きがある。人間が社会をやっている限り、こういう落ちこぼれが一定数出てくることは想像に難くない。彼ら社会不適合者を包摂し、共存していくコミュニティを作ることが我々の急務なのだと思う。

オブローモフとザハールの関係がまた絶妙で、主人と使用人の関係はいつの時代もコミカルなんだなと感心した。このような関係は、中世の騎士道物語から20世紀のジーヴスものまで、文学史に脈々と受け継がれている。封建社会の産物と批判される向きもあるだろうけど、僕は彼らを見てどこか羨ましいと思うのだった。