海外文学読書録

書評と感想

小津安二郎『早春』(1956/日)

早春

早春

  • 淡島千景
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★★★

サラリーマンの正二(池部良)は妻・昌子(淡島千景)と二人暮らし。蒲田から丸ビルに電車通勤している。彼は通勤仲間の千代(岸惠子)に迫られ浮気をするのだった。正二は大勢の通勤仲間と遊んだり、戦友と同窓会をしたりする。そんななか、三石(岡山県)への転勤話が舞い込んできて……。

小津安二郎にしてはモダンな内容で丸の内のサラリーマン生活を描いている。しかも、丸ビルに本社を構えるくらいの大企業だ。大卒のエリートサラリーマンがどういう生活を送っていたのかを活写している。彼らは現代人から見ると異様に親密で、休日にはハイキングに出かけたり、団地の一室に集まって麻雀をしたりしている。メンバーは男女混合で清い交際といった趣だ。もちろん飲みニケーションも欠かさない。戦後のサラリーマンはこのように濃い人間関係に明け暮れていたのだ。現代のサラリーマンはプライベートの時間に同僚と遊んだりしないだろう。最近は飲み会を嫌がる若手も多いと聞く。翻って本作では通勤仲間がイコール友達になっていて、なるほどこういう関係からカップルがポコポコ生まれていたのかと得心した。彼らの大半はおそらく地方出身で地縁も血縁もない。だから身を寄せ合う必要がある。仲間との繋がりが都会の孤独を紛らわせるセーフティネットとして機能しているのだ。現代人からすると羨ましい反面、濃密すぎて煩わしいところもある。

浮気に関しては「女は三界に家なし」を体現していてなかなかきつい。夫の浮気は最終的に許してこそ妻の甲斐性なのだ。夫婦は色々なことがあって段々と本当の夫婦になっていく。夫の浮気も絆を深める試練に過ぎない。この時代の男女は表面的には対等に見えるが、深層の部分ではまだまだ男性優位だ。男は離婚しても経済的に自立できるが、女のほうはそうもいかない。男に依存しないとまともな生活が送れないから多少のやんちゃは目を瞑るしかないのである。もし浮気をしたのが妻だったらどうなっただろう。即三行半を突きつけられて貧乏暮らしまっしぐらだったはずだ。そう考えると、正二の立場はなかなかずるい。メンヘラ女と化した千代を捨て、元サヤに収まって感動的な再出発を誓っているのだから。女の側に実質的な選択権がないところに時代を感じる。

この時代の子供は欲しくて授かるものではなく、避妊に失敗して仕方なく産むものだったようだ。育てているうちに愛情が芽生えてくるという。だから当時はあんなに子沢山だったのだ。現代人と違って特に経済的な心配はしていない。あるおばさんは「子供がいないと寂しいわよ」と子無し女にアドバイスしている。ここで表現されているのは徹頭徹尾親のエゴだ。子供がどういう思いをして生きていくのか、その苦境を想像せず、ただ自分たちのために子供を産み育てようとしている。だからウミガメのようにほいほい出産できたわけで、現代人との意識の違いが如実に表れている。

序盤。会社の廊下を映すシーンでカメラがゆっくりとズームしている。いつもだったら動かさないのになぜズームしたのだろう? 珍しかったので記憶に残っている。