海外文学読書録

書評と感想

大島渚『愛と希望の街』(1959/日)

愛と希望の街

★★★★

少年・正夫(藤川弘志)が靴磨きの女たちに混ざって鳩を売っている。それを会社重役の娘・京子(冨永ユキ)が買い取る。ところが、それは鳩の帰巣本能を利用した詐欺だった。正夫には病気の母(望月優子)と自閉症の妹(伊藤道子)がおり、一家は生活保護で暮らしている。一方、京子には兄・勇次(渡辺文雄)がいて……。

貧富の差を題材にしたネオレアリズモっぽい内容だった。わりとまっとうな劇映画で驚いたが、そもそもヌーヴェルヴァーグはネオレアリズモから影響を受けているので、キャリアの初期にこういう映画を撮るのも必然なのだろう。方や高度経済成長から取り残された貧困層。方や高度経済成長の波に乗った富裕層。両者は立場の違いゆえに違った生き方を余儀なくされる。そして、こういった現実を目の当たりにした善人が貧困層に同情した結果、共産主義が世界を席巻することになった。みんな悪気があるわけじゃないのにいまいち歯車が噛み合わない。この世界は誰もが幸せになるようにはできていないのだ。まったく人間社会の複雑さとは恐ろしいものである。

物を見るとき自分がどの立場に立っているのかは重要だ。たとえば、金持ちと貧乏人は分かり合えない。健常者と障害者も分かり合えないし、弱者男性とフェミニストも同様だ。立場によって見ているもの・触れているものが違うから自ずと価値観が違っていくのである。両者が分かり合うために必要なのはエンパシーだ。リチャード・ローティもブレイディみかこも共感することの大切さを説いている。しかし、それも『反共感論』【Amazon】によって一蹴された。本当に手を差し伸べるべき相手は共感の外側にいる。正夫とその家族は我々にとって共感しやすい相手だ。正夫は折り目正しい少年だし、家族も別に悪党というわけじゃないから。この人たちならぜひ助けたいと思うが、しかしそれでは駄目なのである。本当に助けるべきなのは汚くて醜くて誰も同情しないような相手なのだ。戦争は女の顔をしていないように、弱者は善人の顔をしていない。我々が本作を見て感じているエモーションは、気まぐれな物見遊山による感動ポルノでしかないのだ。目の前にいるのは同情しやすいように整形された貧困層。こういうフィクションを見るたびに自分の感情の行き場を見失って困ってしまう。

正夫と母が互いに利他的なのがつらかった。正夫は親孝行するために進学せず就職したい。一方、母は正夫を高校に進学させたい。善意と善意がコンフリクトを起こしている。こういう場合、正夫のほうが母に甘えて進学するのが筋なのだが、彼は母を助けたいという一念に取り憑かれている。だから鳩を使った詐欺までしていた。正夫は中学生とは思えないほどよくできた孝行息子だが、それゆえに最善の選択ができない。そこが見ていて歯痒いのである。

貧困層と富裕層がすれ違うのはどうしようもない。両者は立場が違うのだから。本作はそのメカニズムを的確に示したところが良かった。